ファンタジースキーさんに100のお題

033. 獣人 (2)


 頭上の梢がさざめく。
 薪を追加し、燃えカスが広がらないよう隅にまとめる。三人がようやく警戒を解いて息をついたのは、焚き火を囲んで腰を下ろしてからのことだった。

「さて雲取。おぬし先程言うておったな。獣人、というのか。妾はああいう輩を目にしたのは初めてじゃが」
「ワシだって実物を見たのは初めてだっての。でもアタリだろ多分。モノノケじゃない、人間にも人妖にも見えねえ。穢れた力を取り込んだ人間の、なれの果て、ってやつだろ」
「人間だったものが、なんらかの力を得て人外の存在へと転化した……。となるとやっぱり例の怨霊の影響か?」
「かもしれぬ。可能性はあろうな」
「ワシが昔聞いた話じゃ、恨みを抱いて死んだ人間は怨霊となり、生きたまま穢れし力を得れば獣人と化す、ってことらしいけどな。まあ真相なんてもんは誰にも分からねえよ」

 怨霊にしろ獣人にしろ、まともに会話ができる相手ではないからだろう。
 人間と大差ないくらい知性の高い人妖とモノノケは別として、それ以外の怪異な存在のおおもとが人間だと言われているのは少々興味深い気がした。もしかしたら人間は、『他の何か』に転化しやすいのかもしれない。

「野放しにして大丈夫だったかのう」
「飢えた猿や猪が里を襲うってんならともかく、あんなのが集落に紛れ込んだりしたら大混乱だろーな」
「この近くに里はなさそうだし、まあ、たぶん大丈夫だろ。……きっと」
「ならば良いが」
「…………」
「…………」

 これであの獣人が旅人から食糧を奪うのに味をしめたらどうしよう。
 清白も一抹の不安を拭えないらしい。微妙な表情をしている。

「ともかく、火明の里に着いたら相談してみれば良かろ」
「ああ、そうだな」

 焚き火の中の木片が爆ぜる。もう眠れそうになかった。
 黙って炎を見つめていると、思い浮かんでくるのはあの獣人のことばかりだった。
 本当にもとは人間だとしたら、一体どんな人生を送っていたのだろうか。
 穢れた力を取り込んでヒト以外の存在になり果てたのは、自らの意思だったのか。
 衣服は破れてボロボロだったけれど、もとはきちんと仕立てられたものだったに違いない。
 きっと家族もいただろうに。

「それにしても、あんたって物知りなんだな。意外だ」
「意外とはなんだ、失敬な奴め。ワシはこう見えてもお前さんの七十倍は生きてるんだからなっ」
「七十倍……。年の功か」
「そうだぞ。敬いやがれ」

 やはり清白も眠気が飛んでしまったのだろう。雲取と益体のない言葉を交わし出した。
 と、雲取がこちらをぱっと振り向いた。何かを思いついた顔だ。

「さっきの獣人を追い払えたのは、ワシの的確な助言のおかげだよな?」

 ふっふっふっ、という不気味な笑い声と共にそんなことを言い出した。鴉天狗は得意満面の表情で高らかに宣言する。

「貸し、だからなっ!」

 言い渡された葛葉と清白は絶句したが、雲取は二人の反応には頓着しなかった。

「やー、お前さんがた二人とも獣人を知らなかったようだし、戸惑ったのは無理もねえよ。うん。だがまあ、貸しは貸し、借りは借りだ。それともまさか、誇り高き天狐殿ともあろう者が、借りをなかったことにするつもりじゃあねーよな? 清白、お前さんも刀遣いだったらその刀に懸けて借りは返すもんだろ?」

 というわけで、と鴉天狗は得意げに背の翼を広げた。炎を映していきいきと輝く苔色の瞳。どうしてこいつの口はこんなにもよく動くのだろう。

「ワシがついて行くことに異存はない、よなっ? うんうん、あるはずがない。あるもんか。なっ!」

 勝ち誇って自己完結した雲取を、たっぷり十数秒見つめて。葛葉はようやく声を絞り出した。

「悪知恵が働きよる……」
「なにが悪知恵なもんか。ワシはお前さんがたが気に入ったんだ。腕比べとか飲み比べとか、とにかくいろんな勝負をしたい。んで、お前さんがたは怨霊封じなんてとんでもねえ使命を抱えてる、ときたもんだ。だったら一緒に行って手伝ってやるっての。頭数は多いほうがいいんじゃねーの? まあ合間で勝負は仕掛けるけどよ、もちろん」
「仕掛けるのかよ……」
「そのよくまわる口を縫いつけてやりたいのう……」

 げんなりと呟き、二人は顔を見合わせた。もう仕方がない、犬に噛まれたとでも思うことにするしかないだろう。

「里に入ったら干し肉を補充せねばならぬな」
「煎餅と乾菓子はたっぷりあるから、当面それで済ませるか」
「あ、無視しやがって。おいコラ流すなー!」

 他愛ない会話は夜明けまで続いたのだった。


 END