ファンタジースキーさんに100のお題

035. 廃坑の秘密 (3)

 蜂ノ羽衣で穢れを抑え、場の安全を確保できるならば、他の人妖に加勢を頼むこともできるかもしれない。時間的な猶予も生まれるだろう。
 羽衣を捧げ持ち、葛葉はひざまずいた。阿古耶の真摯な声が坑内に響く。

「これが穂積の誠意と受け取っていただきたい」
「確とお受けいたしました」

 想いを込めて葛葉は答える。
 声音に高揚がにじみ出ているのが自分でも分かった。雲を掴むようだった怨霊封じの手立てが、一気に具体性を帯びて目の前に現れたのだ。どうして昂ぶらずにいられようか。
 かけがえのない瑞宝を貸し与えてくれた阿古耶への感謝の念で、自然と頭が下がる。

「礼には及びません。どうかお願いいたします。荒ぶる魂をお鎮めくださいますよう」

 したたる水のように言葉を紡ぐ小さな女妖。
 木霊は、木々と共に在る人妖だ。瘴気を振りまき生命を喰らう怨霊が近づけば、阿古耶たちはなすすべもなく毒牙にかかるより他はない。おそらく逃げ出すことすらできないのだろう。
 彼女らの気持ちに応えるためにも、必ずや怨霊を封じてみせる。
 葛葉はすっくと立ち上がり、そしてかすかに微笑んだ。足元がまたひとつ固まったような、そんな気がした。


 復路の足取りは軽い。
 桐箱ごと借り受けた羽衣は、丁重に葛葉の背嚢へと納められた。穂積の衆の願いを背に負って、改めて気の引き締まる心地がする。

 再び清白におぶさった阿古耶の半歩後ろを歩きながら、葛葉はふっと疑問を覚えた。
 この瑞宝は、神々の遺産とまで言われる稀有な品だ。火明が離散したのちも穂積氏族が守ってきた、代替のない宝物。
 彼女らは、そんな重要な品を、初めて顔をあわせた、火明の枝分かれすら知らなかったような自分たちに易々と貸してくれたわけだ。
 いくら刑部姫の口添えがあったにせよ、ここにいる穂積の衆は、その刑部姫自体とも直接の面識はなかったはず。なのに彼女の寄越した言葉を信じ、葛葉らを信じてくれた。

 なぜだろうか。何の試練も受けず、瑞宝を借りるに値すると自ら示したわけでもない。
 解き放たれた怨霊が、驚天動地の深刻な事件であるのは確かである。けれど、だからこそ力を宿した瑞宝の存在はいや増して重要になるだろうに。  歩を進めながら、葛葉は思い切って問いかけてみた。すると阿古耶はふっくらと微笑み、こう答えるのだった。

「怨霊は、すべての生あるものへ仇なす猛毒の災厄です。こうしている今も、口伝のとおりに、大地に息づくあらゆるものから生命を吸い取って巨大になりつつある……。木霊である我々には樹木の悲鳴が聞こえるのです。あれは恐ろしい存在。何よりも優先し、一刻も早く封じなければ国土全体が壊死してしまうでしょう。
 そんな矢先、この穂積の里に、怨霊を封じんと起った方々が訪れてくれた。叶う限りの支援をするのは当然です。出し惜しみをする必要などどこにありましょうや?」

 それに、と阿古耶は続ける。

「森の守護者の試しを、あなたがたはいとも容易く乗り越えられたそうではありませんか。彼から聞きましたよ。骨のありそうな三人組だと」

──〈ここは迷いの森。我は番人〉

 そう、確かにあのとき怨霊封じへの覚悟を問われ、答えた。
 すとんと胸に納得が落ちてきた。
 あの土蜘蛛は森を守っていただけでなく穂積の里をも守っていたのだ。不心得者が踏み込むことのないように、幻影で侵入者を惑わし、試して。
 遠くからぼんやりと明かりがさしてきた。坑道の出口が近い。

「とはいえ、毒気を防ぐ瑞宝だけで怨霊に挑むのは、さすがに無謀でしょうね」

 笑みを消した阿古耶は何かを思案しているようだったが、やがて視線を上げた。

「では、こうしましょう。我らと同じく火明の瑞宝を持つ氏族の里が、ここよりさらに北にあるのです。そこへ使いを出して助力を求めましょう。事情が事情ですからきっと協力してくれるはずです」
「本当か! それは助かる。ぜひお願いしたい」

 願ってもない申し出だ。即答する清白に重ねて葛葉も賛同すると、阿古耶は里に戻り次第連絡を出すことを請け負ってくれた。
 手探りするしかない闇の中で、望む場所へと続く扉が音を立てて次々に開いていくような心地だった。

「よっしゃ、んじゃ次の目的地も決まりだなっ」
「おぬしは来ずとも良い」
「そうはいかないなァ。土蜘蛛は『三人組』って言ってたんだろ? 一人欠けたら三人組じゃなくなっちまうじゃねェか。まだ真剣勝負も飲み比べもしてないってのに」
「まだ勝負する気か……」
「おっ、やあっと出口かァ。暗くて狭い場所ってのはやっぱワシの性にあわないなっ」

 言いたいことだけ言い放つと、雲取は能天気な声を上げて翼を広げた。風の流れを感じたのだろう。まっしぐらに駆け出して、外へ出た途端に強く羽ばたいて宙返り。そのまま何度か回転する。
 ちっともじっとしていない鴉天狗を見上げ、阿古耶は無垢にころころと笑った。ここまでぶっちぎりに傍若無人な輩が珍しくも可笑しいのだろう、と葛葉は胸中であたりをつける。

 坑道から出ると、濃密でさわやかな緑の匂いが躍るようにおしよせてきた。新鮮な空気が身体中に行き渡る。
 陽射しが目にまぶしい。もう昼時に近いようだ。

「ん? 雲取、羽織から何か落ちたぞ」
「わわわっ!」
「キノコ……。まさかおぬし、盗みを働きよったのかえ!?」
「いやコレはその、あんまり美味そうだったから」
「なんたる手癖の悪さじゃ! 今すぐ返せ! 降りてきてお詫びせい!」
「かまいませんよ、さしあげます。食べると一晩中しゃっくりが止まらない毒キノコですけれど」
「地味なくせにちょっとイヤな毒だな」
「ほほう、少しは静かになりそうじゃのう。よし。食せ雲取」
「誰が食うかっ!」


 END