ファンタジースキーさんに100のお題

046. 血の盟約 (2)


 簡単な食事をとりながら、葛葉はリッカを見た。

「時にリッカ。先ほど言うておった盟約者とはなんなのだ? おぬしの一族の伝統かえ」

 旅装を纏って握り飯を豪快に頬張る姿であってもどこか艶美な鵺は、気を悪くしたふうもなく頷いた。
 今は襟巻を外しているので嚥下する喉の動きがよく見える。綺麗な首筋だ。

「古い習わしよ。うーん、そうねぇ……『刎頸(ふんけい)の交わり』って故事は知ってるかしら。互いに首を刎ねられても後悔しない間柄ってやつ。
 それよりもっと強固な、氏族内の仕組みとして定着してる掟みたいなものがね、あるのよ」

 そもそもの発端は、とリッカが軽く座り直した。詳しく教えてくれる気になったらしい。

「むかーし昔、古すぎてろくに記録も残っていないような大昔に、とある鵺が理性を失って大暴れしたことがきっかけだったそうよ。
 原因は、シロチル薬の過剰摂取」

 妖力の回復や滋養強壮に効能がある薬だ。シロチル花の抽出物に数種のキノコの粉末、蜂蜜などを加えた液体で、調薬の得意な猿猴(えんこう)種族が大量に作っては物々交換をしに各集落を訪れるのだという。
 白碇城では備蓄倉庫に多少の取り置きがあった。
 葛葉もほんの幼子の頃、高熱を出して寝込んだときに乳母に薄めたものを飲ませてもらった覚えがある。

「シロチル薬ってよく効くけど、常用したり大量に摂ったりすると毒になるのよねぇ。まあそれはお酒なんかも同じだけどさ。
 シロチル薬の怖いところはね、中毒になると狂乱状態に陥ってしまうってこと。
 強烈よお? 日夜問わずわめいて、家中の物をひっくり返してさ。術の構築に失敗してるのに無理やり起動させて扉をぶっ飛ばしたりとか、止めようとした身内に大怪我させたりとかね。相手が誰かも分からなくなっちゃうみたいで……もうめちゃくちゃよ。狂い嵐みたいなものだわ」

 リッカはちょっとおどけて顔をしかめてみせたが、説明の内容は凄まじい。

「さらに怖いのが、その中毒症状が出たら、もう元には戻らないのよ。可能な限り過去の事例を調べてみたら、みんな人格が塗り潰されて知的活動ができなくなって、強い他害衝動があった。つまり、命が尽きるまで周りの人や物を攻撃するってことよ。
 発端の奴が発症したときは、危うく里が壊滅しかけたんですって。たぶん術に長けていたんでしょうね。無差別に暴れまわって何人も死んで……かなり凄惨なことになったみたい」
「なんと」

 驚くべき大事件だ。思わず隣の清白と顔を見合わせてしまった。二の句が継げない。
 ちなみに雲取が静かなのは頬袋いっぱいに飯を詰め込んでいるからだろう。
 火の中で薪が小さな音を立てる。上に掛けておいた小鍋が頃合いになっていた。煮出した茶だ。物部の里で色々と身の回り品を持たせてもらったが、こういう消耗品もかなりありがたい。茶葉と一緒にくれた竹筒の大きさがまちまちなのはご愛敬か。
 ほのかに香る青竹の姫筒椀に茶を注ぎ、全員に配ったところでリッカが再び口を開いた。

「だから、そうなったときには……、そいつと盟約を交わした奴が最後のカタをつけるの」

 静かな声だった。

「年寄り連中は“血の盟約”って言ってるわ。
 どんなときも相手を裏切らない、決して見捨てない。互いの面倒をみる。それでもってどうしても助からない窮地に落ちたなら、せめて苦しまないように幕を引いてやる……。そういう生涯の誓い」

 リッカの唇からため息が漏れた。

「鵺って凝り症が多くてねー。研究者気質っていうのかしら。特に妖術だとか気脈についての研究調査が好きでさぁ」

 やりたいことをやるには妖力がたくさん必要となる。だが鵺の妖力量は並程度で、さほど多くない種族である。
 となると自然と回復薬を使う。やがて、いつの間にか常用するようになっていく。
 徐々に分解できない毒素が溜まっていき、けれど服用がやめられず、あとはもう破滅一直線というわけだ。

「今まではできなかったことができるようになる、ってのはさ……癖になるのよね。分かるでしょ。それ自体に中毒性があるもんだから、次はもう少し、その次はもっと、って際限なく追い求めちゃう」

 そういう困った輩が後を絶たず、一世代に一人か二人は出てしまうのだとリッカは言う。

 人妖やモノノケたちは、血液と同じように妖力が全身を巡っている。
 体内で生み出された余剰の妖力は蓄蔵のための器官へ送られ、必要なときに自在に使うことができるのだが、この貯蔵庫の奥行きに種族差・個人差があるのだ。
 生まれ持った妖力量は増やすことができない──というのが通説だった。人によっては、修練を積んである程度までは体内に溜めておけるようになるものの、種族的な上限域を超えることはめったにない。

 清白に補足説明をしてから、葛葉は続きを促した。

「盟約者はいわば抑止力ね。悪く言えば相互監視の仕組み。嵌まったら自分じゃ止められないんだから、そうなる前に近しい奴がなんとかしてやらなきゃ、って。
 だから爺婆どもをはじめ古い連中とかはさ、『盟約者は持つべきだ、盟約者のいない鵺は半人前』って思ってるわ」

 盟約は時として他の何よりも重視され、優先されるという。約束というよりも特別な儀礼に基づく縁組に近いようだ。
 たしかに、と葛葉は想像した。
 ある日突然隣人が錯乱していつ殺されるか分からないのでは安心して暮らせない。孤島の一人暮らしでない以上、様子がおかしい者がいることを早めに知るためにも有効な習わしだ。
 ひょっとしたらその昔、火明氏族としていくつもの種族がまとまって生活を営んでいたことが影響しているのかもしれない。

「その盟約相手ってのは、いざってときに自分を殺してほしい奴を選ぶってことだろォ? 里ン中でそんな簡単に見つかるのかよ?」
「それが不思議と見つかるみたいでね。幼馴染とか夫婦関係が多いんだけど、三、四人で盟約ってのもあるわ。若い世代はそっちのほうが多いかも」

 生み育ての肉親とは別に、自分で新たに選ぶ身内といった位置づけらしい。
 初めて聞く内容だった。城主であった父は少しずつ様々なことを教えてくれたが、その中に鵺の話はなかったように思う。
 多少なりとも聞き及んでいた雲取は年の功というか、やはり物知りなのだと認めざるを得なかった。若干忌々しい。

「そうか。まったく知らなんだわ」
「別に秘密ってわけじゃないけど、そもそもの由来が不名誉な話だからね。あんまり知られてないと思うわ」

 “血の盟約”。
 そんなにも濃密な地縁の結びつきがあったなら、相手を放って旅などできないだろう。留守の間は約定による責任を果たせなくなってしまうのだから。

「でも、あたしには必要ないと思ってる。自分の始末を誰かに託すなんて嫌だもの。一定以上は危険だと分かってるんだから、普通に服用量に気をつければいいんだし。
 っていうか、自分以外の誰かをずうっと気にして生きなきゃならないなんて、息苦しいったらありゃしない」

 さすがリッカ。自由人である。
 まだ知りあってから七夜と日は浅いが、彼が虚勢でそう言っているわけではないと葛葉にも理解できた。

「そもそも、あたしほどの才能があれば、妖力量の問題なんて軽~く解決できちゃうし? いつも見てるでしょ、あたしの卓越した術捌き!
 あっ、葛葉あんたはせっかく妖力豊富なんだから、構成組みの練り上げ、引き続き頑張りなさいよ!」

 粗削りもいいところの身としては肯くしかない。高らかに笑うリッカに話の礼を述べて、葛葉は竹筒を回収した。
 あらかじめ取っておいた水で洗い、火のそばで乾かしておく。なるべく水気を拭ってから収納したほうが衛生的だと清白が教えてくれたのは、旅に出る前。毒気に倒れた葛葉を匿ってくれた小さな庵でのことだった。
 あれから半月。もうずいぶんと旅慣れた気がするけれど、ただ無我夢中なだけなのかもしれない。

 休む支度に取りかかる清白とリッカを眺めながら、葛葉は懐の鉄扇を確かめた。指先に馴染んだ感触。
 ここは街道の近くだし脅威になる動物はいなそうだが、先日の森で獣人に襲われた前例がある。念のため火は消さずにおき、明け方まで交代で火の番をすることにしたのだ。最初は葛葉、次が清白、リッカの順。
 鴉天狗は気まぐれすぎてアテにならなかった。自分から役割を買って出ることもままあるが、もともと同行者ではなく面白半分で勝手について来ているだけだ。頭数として当然のように割り振るのは筋違いというものだろう。
 大木の幹に寄りかかり、枝の上で悠々と足を組む鴉天狗の姿はとてもくつろいで見えた。背の翼を傷めないのが不思議でならない。

「おぬし、よく木の上で眠れるのう。寝ぼけて落ちてくるなよ」
「大丈夫に決まってるわい! ワシは誰かさんと違って寝相がいいからなっ! まー飛べない諸君は安全な地べたで寝るがいい! わはははっ!」

 よく回る口だ。縫いつけたい。
 やれやれね、とリッカが肩を竦めるのが視界の端に映った。

「なあ清白、明日は何の勝負をするっ? 薪集めか、でなけりゃ山菜採りかぁ!?」
「……どこまで黙って歩けるか勝負……とか」
「つーまーらーんー!」

 懲りることなく清白に絡む雲取は、相変わらずまったくお気楽なものだ。汲めども尽きぬ憎まれ口の数々に、もはや呆れて何も言えなくなってくる。
 もしも雲取が落っこちてきたら、以前よりも格段に洗練された術を披露して枝に吊るしてやろう。
 口には出さずにそう決めて、葛葉は頭上を仰いだ。

 木々の合間からまたたき始めた星が見える。ひときわ目を引くのは麦刈星か、あるいは真珠星か。
 空のものに詳しかった故郷の乳母がふと脳裏に現れかけて──、だが葛葉はその優しい面影を、胸の奥にそうっとしまい込んだ。大切な小箱に入れて蓋をしておくように。
 何度も繰り返してきた儀式のようなものだった。
 彼女や父をはじめとする白碇城の皆を悼むのは今ではなかった。そうでなければ……足元から崩れ落ちてしまう。囚われて、一歩も動けなくなる。自分で手に取るようによく分かるのだ。
 それほどに事実は重かった。
 共に暮らした、葛葉にとって全世界そのものだった天狐一族が誰一人として残っていないなんて、まるでとびっきりの悪い夢のようだ。

 焚火の縁を整え、ゆっくりと小枝を差し入れる。
 膝を抱えて炎に向き合うと、なぜだか心が落ち着く気がした。時折小さくぱちっと鳴るのが耳に心地よい。
 いつの間にか雲取たちは会話を切り上げ目を閉じている。
 火先をかすめていく風の中に、雨の匂いは感じられなかった。
 旅の身空だと天候には鋭敏になってしまう。のんびりと雨宿りしている余裕はないから、できれば荒天は勘弁してほしいところだ。真夏や真冬でなかったのが不幸中の幸いと言えた。

 どうやら明日も過ごしやすい陽気になりそうだ。
 先を、急がなくては──。


 END