番外編

花 綻ぶ時

これは、あり得る未来。可能性の、ひとつの具体例。

「まあ、ジルお兄様!? お久しぶりです……変わりはありません?」

 出迎えたその娘は、驚きから喜びへと鮮やかに表情を変え、親愛の瞳でジブリールを見上げた。
 娘の名はルシファー。当年とって十九歳。天人国の女王陛下である。
 今年の春に即位したばかりだが、先々代の王の忘れ形見の姫、すなわち正統なる王位継承者であることや、柔和な気質、執政官たちと貴族諸侯とをまとめ上げる統率力などから、早くも絶大な人気を得ている。

 ──というのが、遠くジブリールの耳に入ってきた風評だった。
 戴冠式以来、努めて民の前に出るようにしてきたらしく、彼女の容貌と人柄は広く知れ渡っている。国民は若き女王に期待し、ルシファーはその信頼に応えようと、必至で政務に励む日々を送っている様子だった。

 ルシファーはすでに婚約がととのっている。
 だが、順風満帆に百官から祝福される婚姻ではないことは明らかだった。
 さぞ苦労するであろう従妹のこれからを思うと、ジブリールの胸中は複雑だった。離れて暮らすようになってわずか数年。婚約の一報を受けて、いてもたってもいられずに、こうして駆けつけてしまったのである。
 年若い天人王の縁談に、世界中の誰もが驚嘆して戸惑いを隠せなかったに違いない。それほど予想外の相手だったのだ。

 そして婚儀を三ヶ月後に控えた現在、ルシファーの細指には婚約指輪が煌めいていた。空色の瞳はしっとりと輝き、しかし表情は山積された政務のために引き締まっている。
 その面差しを見て安心したジブリールは、遠慮してすぐに引き上げようとした。だが女王付き補佐官──秘書・兼・護衛──である女性はさすがに有能だ。久しぶりに帰国した女王の従兄のために、政務スケジュールを調整してくれたのである。
 流れるような所作で紅茶が出される。

「ありがとう、リッシア」

 屈託なく笑いかけるルシファーに、リッシアと呼ばれた女性は微笑みを返してから退出した。よくルシファーを支えてくれているらしい。

「リッシアのお茶、とっても美味しいでしょ?」

 嬉しそうに微笑む従妹を目にしたジブリールは、半ば無意識のうちに彼女の髪に触れていた。
 幼い頃からの愛情表現。だがそれも他人の目の届かないところでなければできなくなってしまったことに、ジブリールは一抹の寂しさを覚えた。

(我らが女王陛下、か)

 彼女がまだ世継姫と呼ばれていた頃が、まるで遠い昔のように思える。「ジルお兄様、ジルお兄様」と無邪気に後についてきたあの幼くて愛らしい少女が、いつの間にか美しい娘になって結婚するというのだ。
 離れて生活するようになったせいだろうか。未だに信じられない気もするジブリールであった。

「ルゥ、今、幸せか?」

 実の妹のような彼女の頭を撫でながら、不意に口をついて出たその言葉は、質問ではなく確認の響きを持っていた。

「……はい。とても」

 慎ましやかに微笑んだルシファーは、まるで花のようだった。


 END