023. 宝物 (2)
約束を、とりつけた。
エーギルの自由の対価は、この戦での勲功。誰もが認める華々しい戦果をあげて、息子を牢獄から連れ出してみせる。
敵地の最前線で陣頭指揮を執るクロノスを、その一念が苛烈なまでに突き動かしていた。
王族、しかも世継公が軍部隊を指揮して戦場に立つなど、海人国はじまって以来の珍事だろう。けれど自国の本陣に収まっていては望みは叶えられない。剣を取り、弓矢をつがえ、戦場のただなかへと踏み入らなければ。
(なんとしても、父王とレアを黙らせるだけの戦功を!)
黒を基調とした荘厳な軍服、人魚をかたどった美しい襟章。一目でそうと分かる指揮官ぶりでありながら、まるで先鋒のように敢然と敵陣へ突っ込んでいく世継公の存在は、全軍の士気を否応なしに盛り立てる。海人たちは一丸となり、破竹の勢いで進軍していった。
そう、世界は戦に明け暮れていた。些細な火種はあっという間に火柱となって燃え盛り、近くの火種に連鎖して、五種族の国家が互いに牙を突き立て合って血を流す日々。
海人国は天人国へと侵攻し、激しい攻防の末、ついに空を往く者たちの王都・連翔を包囲するに至ったのである。
すでに戦線は王城へと達している。クロノスは大部隊の指揮を部下に委ねると、一小隊を率いて別行動に移った。
目標は敵の総大将たる天人王セラフィム。海人とは異なり、天人は有事の際に王侯貴族が軍隊の先頭に立つ。前線で王を押さえれば相手は前面降伏するしかない。
次ぐ標的は王妃アンジェラ、そして王女ルシファー。王子や王弟よりもその二人を優先する理由はただひとつ、“法願使い”と呼ばれる強力な特殊能力者の末裔だからである。その力について詳しいことは分かっていないが、危険要素として警戒するには充分なものだろうと思われた。
ともあれ王族が城内に残っていることは確認されている。正面の攻城部隊を囮に、隙を突いて城内への侵入を試みる価値はあるだろう。そう判断して森林区域を突っ切った矢先、飛び出してきた人影に驚いてクロノスは足をとめた。
(この子どもは──!)
一人きりで避難する途中だったらしい、幼く小柄な少女だった。
目に鮮やかな金髪を戦塵に乱し、青空色の瞳を見開いた、その背には高貴なる白翼。
胸の鼓動が跳ねる。命令するよりも先に、とっさに自ら動いていた。
恐怖にひきつる少女の顔。短い悲鳴、抵抗。部下たちが一斉に加勢すると、少女はなすすべもなく取り押さえられてしまう。普通の子どもと何ら違わない無力さだった。
意識を失った少女の、あどけない頬には涙の跡。抱き上げてみれば、その身体は見た目より小さく軽く、そしてあたたかい。
「間違いない、天人王の娘だ」
兵士たちが歓声を上げる中、ぐったりと顔を伏せた少女からクロノスは目をそらした。とうてい直視できなかった。
この子はエーギルよりいくつか年下だろうか。そんな年端もいかぬ女の子を捕虜にして──けれど目覚ましい勲功には違いない。
抑えきれない葛藤に胸がきしむ。
虜囚となった王侯女性を見捨てるなど、天人の国民性からすればまずありえないだろう。天人王は苦渋の選択を強いられることになる。
残してきた部隊と合流すべく移動を始めながら、クロノスは振り切るように目を閉じた。
腕の中から伝わるぬくもりがクロノスを苛む。
「これで……やっとあの子を解放してやれるんだ」
かすれた呟きは、戦場の風にさらわれて空に溶ける。
乱れ落ちた純白の羽根が、大地を雪のように飾っていた。
END