031. 勝つために手段は選ばない (2)
凪いだ湖面のように静かな瞳で、清白は誰にともなく呟いた。
「火明の里、か。方向は合ってるはずなんだけどな」
「この近くにはなんの気配もないのう。まだ遠いのかもしれぬ」
日が昇り切った頃に山道を抜けた葛葉と清白は、ふもとの旅籠で湯浴みと食事を済ませ、足休めもそこそこに再び歩き始めた。
行商人が行き交う街道を外れ、東の方角へ。おそらく宿場もないであろう小さな集落と、手入れの行き届いた慎ましやかな田畑。のどかな風景を横目に、着々と進み続ける。
「なあ、いいだろー? 今度は飲み比べで勝負しようぜ!」
その二人の傍ら。性懲りもなく延々と話しかけてくる人影があった。
「美味い酒だぞ。ワシの秘蔵のやつだからなっ」
何がそんなに面白いのか、上機嫌で二人の前後を飛びまわっては言葉をかけ続ける人妖。
山中で改めて葛葉に一蹴されたというのに、無視されようが小突かれようが、全くもって意に介した様子がない。訊かれてもいないのに雲取と名乗った鴉天狗は、葛葉だけでなく清白にも興味を示し、しつこく何やかやと勝負を持ちかけるのだった。
よほど勝負事が好きなのか、あるいは退屈していたのか。どちらにせよ限りなく鬱陶しい。奇妙な人物につきまとわれて、二人は内心途方にくれていた。
「里までこやつを連れて行ってしもうたら、さぞや迷惑じゃろうな……」
「火明の一族とやらが寛大だといいな」
決して天狗と目を合わせずに、困惑と苛立ちを極力抑えた声で囁き合う。
「妾たちは怨霊を封じるために動いておるゆえ邪魔をするなと、幾度も説明してやったのにのう……」
「もう一回戒めの術をかけて、簀巻きにして置き去りにする、ってのは駄目だろうか」
「術の効力が切れたら追いかけてきそうな気がせぬか?」
「……するな」
「おーい、だからさっきも言っただろ? お前さんに勝つまで何回だって挑んでやるし、そっちの刀を遣う若造とも勝負がしたい、ってな!」
二人の会話に頭上から割り込んで、雲取はどこまでも偉そうに自分勝手な考えを言い放つ。
天狗種族が群れを作ろうとせず、それぞれが気ままに散って暮らしている理由がなんとなく察せられるようで、葛葉はいいかげんに頭を抱えたくなった。
「お前さんたちが祟り神を鎮めるってんなら、ワシもそれに協力してやるぞっ。勝負のついでだしな!」
「謹んで辞退申し上げる」
「ついて来るな。迷惑じゃ」
清白が冷たく即答しても、葛葉が邪険に追い払っても、全然ちっとも効き目がない。その身勝手な言動たるや、いっそ清々しいくらいの域に達していた。
「よし、雲取とやら。この団子をくれてやる。じゃから黙って住処の山へ帰りゃ」
「団子はもらう! けど帰らねーぞっ」
「帰らぬのならば団子はやらぬ!」
「あ、お前さん勝ち逃げする気だな!? そりゃ卑怯ってもんだろーがよ! 団子ぉっ!」
人妖たちの応酬を聞いて、清白は深々と溜息をついた。
おもむろに団子の包みを開き、葛葉と雲取にそれぞれ手渡す。餅を丸めて餡子をかけただけの串団子だ。旅籠の近くの屋台で買った安物だが、歩き食いには丁度いい。
「食っていいから、そうあまり大声を上げるな。辺りに人里がないわけじゃないんだ。余計な騒ぎになったら面倒だろう」
「む……。まあ、それもそうだなっ」
「相わかった」
頷いて、葛葉は団子をひとつ頬張った。美味い。甘みが寝不足の身体に染み渡るような心地だ。
思わず目をみはって、次いで二口目。清白や雲取も同様に感じたらしく、一心に咀嚼している。
ふと気づいた頃には、野鳥のさえずりや木々の葉擦れの音がいつの間にか耳に戻ってきていた。
食べ終わるまでの束の間、三人は黙々と口を動かし続けたのだった。
END