ファンタジースキーさんに100のお題

036. 小人達の大宴会


 この穂積の里よりもさらに北に住む、火明の瑞宝を持つ氏族。
 物部(もののべ)と名乗る彼らは、果たして快く協力してくれるだろうか。
 穂積の長である阿古耶(あこや)が物部の長に向けてすでに打診してくれているとはいえ、どうも気が急いていけない。
 聞くところによると、物部は木霊ではなく他の種族であるらしい。

「火明はもともと、神代を継ぐ始祖のもとに複数の人妖種族が集まって生まれた部族ですから」

 阿古耶が物柔らかに言い添える。
 湯気を立てるお椀を手渡されて、葛葉はまじまじと手の中を見つめた。春に採れる山菜の入った粥だ。お椀と木匙は手に馴染む程よい大きさで、つまり木霊たちにとっては手に余る大きさだった。

「お客人用の椀です。この里にもたまには来客があるのですよ。さ、このようなものしか用意できませんが、遠慮なさらず召し上がれ」
「ありがたく頂戴する」
「熱ぃっ! でも美味っ!」

 廃坑から戻った後、葛葉らは里の奥にある泉に案内された。勧められるまま順に旅塵を落としている間に、里の中心である大樹の下に昼餉の膳が用意されていたのだった。
 人間だけでなく人妖も食事は一日二回、朝晩に摂るのが基本であり、昼に食事するのは育ち盛りの子どもを除けば大工や荷運びなど身体を動かす生業の者だけなのだが、旅を続けて怨霊を追う葛葉たちを気遣ってくれたのだろう。

 豊かに枝を広げた常緑樹が生み出す木陰は心地良く、広げられた敷物も座りやすいよう配慮されている。
 出された膳も心尽くしだ。つやつやと光る粥に、ダシの効いたキノコのすまし汁。野菜の漬物はいくらでも食べたくなる歯ごたえの良さで、思わず笑みがこぼれる。
 貴重な瑞宝を借り受け、他の瑞宝を持つ氏族への橋渡しをしてもらい、おまけに水浴びと食事まで。まったく至れり尽くせりで申し訳ないくらいだった。

 きちんと端座して箸を動かす清白の隣で、雲取は少々はしたないほどに「美味い」を連発して食べている。と、不意に動きを止めたかと思うと阿古耶を振り返り、

「このキノコ、見た目シイタケっぽいけど変な毒があったりしないだろーなっ!?」

 小鉢のひとつを指差す。先ほど葛葉にしゃっくりの止まらなくなる毒キノコを食べさせられそうになったので警戒しているらしい。

「大丈夫ですよ、ごく普通の食用シイタケです。美味しいですよ」
「キノコの旬は秋だろーが。つか、そもそもなんで毒キノコなんか育ててるんだよっ」
「すり潰して煎じると薬になるのです。薬用栽培ですね」

 雲取の奔放な言動にも動じないあたり阿古耶はさすがだ。葛葉はといえば、今にも鉄扇を取り出したくなるのを堪えるのがやっとである。清白が苦笑しつつ無言で宥めてくれたので、なんとか事なきを得たけれど。

「せっかくの食事だ。落ち着いて味わおう」

 そう言って山菜を頬張る清白の肝の太さも大したものだ。妖力甚大の天狐と気まぐれな鴉天狗に挟まれて、木霊たちの里で食事をする。普通の人間では考えられない状況なのに。
 葛葉は深呼吸して座り直した。
 深いみどりに抱かれた小さな隠れ里。
 行き交う風は清々しく、鳥たちの歌声も軽やかに響く。こうして皆で温かな粥を食べていると、祟る怨霊が今もこの国のどこかを踏み荒らしているのが嘘のように遠く感じられる。

 ──けれど、現実なのだ。
 無二の瑞宝を穂積の衆が惜しみなく貸してくれたのも、ひとえに怨霊が脅威であるからに他ならない。

「そーだっ、忘れるところだった!」

 いち早く食べ終えた雲取が、木霊の一人から茶を受け取って一口すするなり声を張り上げた。

「ワシらこの近くで獣人に襲われたんだけどよ、この里にゃそういう被害はないのかっ?」

 葛葉と清白も手を止めて顔を見合わせる。
 ぼろ布を纏い、唸り声を上げ、飢えに任せて襲ってきた禍々しい獣人。雲取いわく『穢れた力を取り込んだ人間の、なれの果て』。
 確かにあんな存在が迷い込んできたら木霊たちはひとたまりもないだろう。

「獣人……話には聞いたことがありますけれど」

 阿古耶は何か思い当たる節があるのか、表情を改めて頷いた。

「この里は迷いの森と番人とに護られています。そう滅多なことでは近づくことさえできないので心配には及びません。でも番人の彼によると、ここ最近妙なものが森の付近を徘徊していたようなんです」
「それってあいつじゃねーの?」
「時期が合いすぎるな」

 葛葉は椀を置いて阿古耶に向き直った。

「万一ということもありますゆえ、念のため気をつけられたほうがよろしかろう。この雲取が言うには元は人間ということじゃが、理性や分別などが残っておるようには到底見えなかった……。言葉も通じず、まるきり獣のような様子でのう」
「ご忠言ありがとう存じます。そうすることにいたします」

 阿古耶は、周りで給仕をしていた同族に向かって頷いて見せた。それだけで通じ合うものがあるのだろう、木霊たちは互いに囁き交わすようにして四方に散っていった。

「穢れた力を取り込んだ人間……。もしそれが本当だとしたら、やはり解き放たれた怨霊の影響でしょうか」

 空を見上げて阿古耶が呟いたそのとき、澄んだ声が里に響いた。
 長く尾を引く、笛の音のように優しい声だ。高く低く抑揚をつけて、どこからともなく──いや、周囲の至るところから聞こえてくる。
 またたく間に厚みを増した声は幾重ものさざなみとなり、やがて軽やかな旋律となって里を包んだ。
 葛葉は気づいた。穂積の衆の歌声だ。それもただの歌ではない。

「結界を強化します」

 宣言と共に阿古耶も歌い出した。木霊たちの旋律を束ね、導き、木々を伝ってどこまでも伸びていく。

「これは……歌に妖術を組み合わせておるのじゃな」
「歌に? そんなこともできるのか」
「さよう。歌や曲、舞などを妖術に併せることによって効力を増加させるのじゃ。
 ほれ、あの桜の神木があった広場で、亡骸を弔いながら妾がひとさし舞ったであろう。あれと同じことよ」
「おお、輪唱してるなっ。なァんか楽しくなってきたぞ!」

 里の守りが、まるで綾なす織物のように綴られていく。
 いかに妖力があろうとも一人では成し得ない、見事な重層構成だった。
 阿古耶は身振りで食事を続けるよう促してきたものの、弾むような歌声につられて雲取がそわそわ身動きし始める。
 だが今度ばかりは葛葉も叱れなかった。こんな歌声に囲まれていてはとても座ってなどいられない。

 ちらりと隣を窺うと、どうやら清白も同じことを考えていたようだった。むず痒そうな表情で分かる。葛葉は嬉しくなって椀を手に取った。
 二人はまだ温かい粥をきちんと味わい、他の皿もすべて綺麗に空けたあと同時に立ち上がる。愛用の鉄扇を広げた葛葉の傍らで、大樹に身をもたせかけた清白が、小さな鼻歌で木霊らの旋律に唱和する。雲取はとうに空中で踊り出していた。

 楽しげな歌声の輪は重なりながら広がり、少しずつ熱を増していく。

 結界が織り上がるまでのほんのひととき。
 穂積の里はあたたかな調べに満たされていた。


 END