異端者たちの夜想曲

3:月城雪 (4)


「ミッション完了。解散」

 少女が宣言すると、二人の連れは小さく息を吐いて車から降りた。
 今回のミッション──数ある汚れ仕事の中でも特に暗殺作業を指す──も滞りなく完了。いかに異能者といえど、頭蓋に銃弾の通った穴が空いてしまっては生き長らえることはできない。異端の能力を持っていても、所詮は同じ人間なのだから。
 いつもと同じく、解散場所は悠二らの住むマンションの駐車場。前もってサルビアに手渡され、任務に使用した武器類は全て積み込んだまま、車ごとサルビアに引き渡された。

「ご苦労様。二人とも帰っていいわよ」

 言われた途端、悠二と将は口々に残念そうな声を上げる。

「あれ、今日はお茶なしなの?」
「オレ喉乾いた」

 サルビアは思わず苦笑した。この二人、任務後は毎度この調子だ。罪悪感や自己嫌悪をごまかすために、自分自身を鼓舞するように、しきりにはしゃいでみせる彼らを、サルビアは痛々しい思いで見つめるより他はない。

「今日はね、まだ仕事が残っているのよ。ごめんなさいね」

 悠二と将が渋々ながらに立ち去るのを待ってから、サルビアは残った少女に向き直った。スーツの襟を正しながら微笑む。

「今夜の任務に関して、何か報告事項は?」
「特にはありません。報告書は通常通り明日提出します」
「そう、お疲れ様」

 サルビアは頷きながら、明快な返答を寄越す少女を観察した。
 血の気が薄い顔。相変わらず、任務の前後は何も口にできないのだろう。黒い皮手袋に覆われた指先は、きっと触れればひやりと冷たいに違いない。
 黒目がちな瞳はいつでも真冬の湖のような静謐さを湛えていて、その内に潜む感情を窺うことはできない。

 雪という名のこの少女は至って物静かで、しかも表情がごく淡い。抜群のセルフコントロール。ありとあらゆる感情を、己の内だけで処理することに慣れ切っているのだ。
 だからサルビアは、ある種の危惧を抱かざるを得ない。

 ヒイラギの忠臣、エーデルワイスと呼ばれる十六歳の少女。何があっても表面的には小揺るぎもしない娘だが、その精神は常に張りつめられているのではないだろうか。
 彼女の後姿を見るたびに、サルビアは懸念を新たにする。ちょうど引き絞られた弓によく似た、ひどく危うい強さに思えてならないのだ。

 月城雪──エーデルワイスの生き様を一言で表すなら、“凄烈なまでのひたむきさ”というのが近いかもしれない。激しさを内包した清澄さでもって、己の全てを傾け、一人の人物へとまっすぐ注ぎ込む。そんな生き方をしているせいだろうか、雪の双眸からは年相応の幼さや気紛れさはすっかり拭われて、代わりに途方もなく深く透徹した光が宿っているのだった。

 もちろん首領秘書たるサルビアとしては、≪桜花≫最高の尖兵であるエーデルワイスが、首領ヒイラギに絶対の随従を誓っていることに対して不服があるわけではない。ただ、少女の中でヒイラギという人物の占める割合が、あまりに大きすぎることが心配なのだ。
 ヒイラギのために幾多の感情を抑え込み、激務をこなし続ける彼女の姿は、サルビアの目にはひどく悲痛なものに映る。

 だが同時にサルビアの悟性はこう囁くのだ。自分もまた、エーデルワイスの同朋であるのだ……と。

「サルビア、どうしました?」

 穏やかな雪の声に、サルビアは我に返った。

「……なんでもないわ。行きましょう」

 何やらここのところ、どうにも物思いが過ぎるようだ。“夜刀”の任務に使った国産車へ乗り込こみながら、自省の念に駆られるサルビアだった。

 車窓に映る深夜の街並みは美しい。
 音もなく降り積もった漆黒の闇の中、自動車のヘッドライトや二十四時間営業店の蛍光看板が人工的な光源となって蠢いている。
 そう、いわば闇とネオンの共同劇場。あらゆる生あるものの息遣いが感じられるような気さえしてくる。静寂と喧騒。暗闇と人工灯。
 いかにも象徴的だ。夜闇の下、明日のために身を休める人々と、逆に目覚めの時を迎えて活動する人々と。

 だが、この闇夜の中でどのようなモノが暗躍しているかを熟知しているサルビアは、素直に夜景を楽しむわけにはいかなかった。サイドギアを操作しながら、やや緊張した口調で話し始める。

「……地下のあちこちで不穏な動きが捕捉されてる、という件なんだけど」

 助手席に座った黒衣の少女──雪は、律儀にシートベルトを締めつつ頷いた。彼女は“夜刀”のリーダーである前に、首領ヒイラギの腹心であるので、ヒラのメンバーである悠二や将より多様な情報が与えられるのである。

「不穏の要因が推定されたのですか?」
「ええ……ほぼ間違いないわ」

 サルビアの瞳に暗い影がよぎる。畏怖、焦燥、不安……横顔には幾つもの思いがわだかまっており、それが雪に確信を抱かせた。いつも闊達なサルビアが表情を曇らせて言い淀むなど、そうそうあることではない。
 なおもためらった後、ついにサルビアは観念したように呟いた。

「≪SS≫。欧州最大の地下組織よ」