番外編

お茶会小話

「団長閣下のご婚約はまだお決まりにならないの?」
「夜会でもたびたびその話題になるのよ」

 レイテ公爵令嬢ニティカとニューバー伯爵令嬢パシエルに口々に問われて、ルシファーは思わず苦笑した。
 上品で繊細な茶器、可愛らしい焼き菓子。慎ましやかに飾られた生花は今朝摘まれたばかりなのだろう、葉に透明な雫を纏っている。
 レイテ公爵家の一室にて不定期に催される三人だけのお茶会である。
 昔からの馴染み同士、同じ年頃の娘が集まって余人の目が届かないとなれば、話題や言葉遣いも自然とくだけてくるのが常だった。

 彼女たちの言によると、どうやらルシファーの従兄である近衛兵団長ジブリールが近ごろ貴族階級の若い女性の注目を集めているらしい。
 昨年成人を迎えたというのに婚約すら調っていない王族は珍しいので、十九歳の近衛兵団長が一体どんな娘を娶るのか、みな興味があるのだろう。

「それがねえ、まだなの。周りからもせっつかれているのに、なんだかあまり気乗りしないらしくって」
「まああ。理想がお高いのかしら」
「仕事熱心すぎるのだと思うわ……」

 香りの良い紅茶を飲みながら従兄に想いを馳せる。
 王城で兄妹のように育ち、誰よりも近くで見てきたから分かる。彼は飾り物の団長でいたくないのだ。
 何がそうさせるのかは分からない。だが地位に相応しい実力を得るべく努力を惜しまない姿は、ルシファーの従兄への尊敬をさらに強めさせた。
 自分もこう在りたい、と手本にしたくなるほどの男性なのだ。落ち込んだ気持ちを掌でそっと掬い上げてくれるような優しさで、かけがえのない安らぎをくれる。
 近衛兵団長の任務があるから本宮から出て婿に行くことはないにせよ、客観的に見ても伴侶に立候補したがる娘は数多いるだろうに。

「そういえば式典などでも王族席でなく警備に回っておられることが多いわね」
「先月の舞踏会のときも、ルシファー様と踊られただけですぐに警護の任に戻られてしまったし」
「もったいないわぁ。社交界の華なのに」
「まあ、主だった貴族の子女は幼いうちに縁談が調うことが多いから、良い令嬢が見当たらないのかもしれないわねぇ」

 そう言うニティカとパシエルも昔からの許婚がいる身。従兄と同じく婚約者の定まらないルシファーは何とも言えず、苦笑いするしかない。
 血統主義の貴族社会である天人国の民は総じて早婚なのだ。成人した現王の長男や、十五歳になる次期王位継承者の傍らがそろって空席であるのが異様な事態であって、貴族たちが噂話のタネにしたがるのも無理はないのだろう。

「ねえ、もしかしたら、ルシファー様が落ち着くまでは団長閣下はお相手を選ばないおつもりなのでは?」

 いたずらっぽい表情でニティカがそんなことを言い出した。

「あ、それってあり得るかも」

 パシエルが軽く翼を広げて賛同する。もしそうだとしたら、という仮定で二人の話はどんどん弾んでいく。ルシファーの反応もおかまいなしだ。
 笑いさざめいておしゃべりを続ける二人に苦笑を向け、二言三言返しながらルシファーは思案した。そんなことってあるのだろうか。

(わたしが身を固めるまで、ジルお兄様は……?)

 常磐緑に彩られた瞳。脳裏をよぎる、従兄の穏やかな眼差し。
 そして不意に……会いたくなってしまった。
 毎日欠かさず顔を合わせているというのに。今朝も一緒に朝食を摂って、この邸へと送り出してくれたばかりなのに。
 次代の王として己を律するすべをとうに身につけているはずなのに、この衝動は一体どうしたことか。
 ルシファーは途方に暮れた。表情には出さぬよう細心の注意を払いはしたけれど。
 兄離れできていない。
 ぐさりと事実が突き刺さったような心地だった。

 その後しばらく他愛ないおしゃべりを楽しみ、護衛を伴って城へと戻る頃になっても、正体不明のちくりとした痛みは胸から消えなかった。


 END