夢想百題

043. 妾腹の王族 (2)


「……おぬしも探険していたのか?」
 相手はアスランよりも背が高く、いくつか年上に思われた。だが痩せて貧相な体つきをしており、怯えたような風情だったので、先に声をかけてみることにしたのである。
 しばし様子を見る。反応がない。
「ちがうのか?」
 彼女は固まってしまっているようだった。
 仕方なくアスランは改めて少女を眺めた。質素な服装。装飾品の類をまったく身に着けていない。
 下働きにしてはあまりにも幼く、かといって身分ある者のようにも見えない。相手の素性を測りかねて、その不思議な色合いの髪──金髪と赤毛の中間のような珍しい頭髪──に見入った。
「……ご、めん、なさい」
 それが彼女の第一声だった。かすれた小さな声。まるで今日初めて言葉を紡いだかのような。
「なぜあやまる?」
 しばらく待ってみても答えは返ってこなかった。アスランを凝視する少女の、色の薄い唇がわななくように小さく開く。だがそれだけだった。言葉が出てこない。
「私は毎日いろんなところを探険しているんだ。ここに来たのははじめてだけど、だれか他にも人がいるとは思わなかったぞ」
 辺りの棚を眺め渡しながら、アスランは半ば独り言のように言う。薄暗闇で女の子に驚いてしまったのが少々恥ずかしかったのだ。
「……わたしも」
 囁き声に振り向くと、少女が呆然としたように呟く。
「わたしも、ここに誰か来るとは、思わなかった……」
「この部屋によく来るのか?」
 少女はゆっくりと頷いた。「ときどき……」と消え入りそうな声で囁く。
 先ほど頬をかすめた違和感が再びアスランの上に舞い戻ってきた。使われなくなった古い書庫。だが同時に納得の思いも浮かんでくる。砂埃の少なさは、この娘が時折出入りしているせいなのか。
「ここで何をするのだ」
 秘密の仕掛けでもあるのだろうか。もしくは絵本以外に面白い本が隠されているだとか。
 だが期待はすぐに破られる。
「なにも」
「……何も?」
 信じがたい答えであった。
 幼いながらにアスランは考えた。時間をかけて達した結論は、無理にあれこれ聞き出そうとするのはよくない。きっと彼女には何かしらの事情があるのだろう、というもの。
 ならばせめてと名を訊ねると、予想外にはっきりとした声で少女は名乗った。
「わたしはギュルシェン。皇の、娘よ」
 驚きよりも先にアスランの胸中に浮かんだのはいくつもの疑問だった。
 皇の娘。ということはつまり……自分の姉ということになる。
 けれど今まで一度も会ったことはなく、まったくの初対面だった。こんな珍しい髪の色、一目見たら忘れるはずがないのに。
 父親である皇には幾人もの妃がおり、異母きょうだいの数も多いのだが、折々の公式行事やお茶会などの催し事がわりと頻繁にあるおかげで、母親違いの兄弟姉妹とは日頃からそれなりに行き来があった。
 彼女の母親は一体どの皇妃なのだろう。
 こんな打ち捨てられた場所にひとりぼっちで、何をするでもなく時間を過ごしていた“異母姉”。
 どうして。脳裏を巡るのはその問いばかりだった。
 アスランが名乗り返し、自分の身分を告げると、ギュルシェンは曖昧な表情で頷いた。服装や言葉遣いから推測したらしい。
「ギュルシェン……“幸せな薔薇”か」
 きれいな名前だと思った。
 でも本人はまるで萎れた野花のような様子で、その落差が子どもの目から見ても痛ましい。
「アスラン、あの、誰にも言わないでくれる……?」
「なんのことだ?」
「わたしが、ここにいたってこと……。ここにいると、安心できるの。だから」
 澄んだ青色の瞳が食い入るように見つめてくるのと対照的に、か細い声は今にも消え入りそうだ。
 彼女は他の異母姉たちと何もかもが異なっていた。
 たくさんいる姉たちはみな着飾り、つんと澄まし返って取り巻きの女官にかしずかれている。こんなふうに何かを頼み込んでくることなど決してないだろう。
 風変わりな少女の真剣な口調から、本当に誰にも知られたくないのだと察せられた。
「わかった。だれにも言わぬ。私とギュルシェンだけのひみつだ」
 ほっとしたのか、彼女の肩から力が抜ける。と同時に表情まで柔らかく綻んでいった。
「ありがとう」
 束の間、その白い顔に見入る。
 例えるならばただ一日しか咲かぬ希少な花にも似た、とても繊細な微笑みだった。