夢想百題
043. 妾腹の王族 (4)
*
宮中の催し事の場に彼女が姿を現すようになったのは、そんな出来事があって以降のことだ。
きちんと姫君らしく装い、臆することなく背筋を伸ばしたギュルシェンは際立って美しく、独りで薄暗がりにうずくまっていた少女と同じ人物には思えないくらいだった。
皇妃らをはじめ周囲の反応は冷ややかだったが、彼女は媚びるでもなく、嘆くでもなく、微笑みを浮かべて凛と前を向く。
書庫でもたびたび見かけるようになった。ジュムール皇国の成り立ちや伝承、東域諸国の地理・文化などについての書物を次から次へと読み続け、さらに聞いた話によれば礼儀作法や詩吟の教示も受け始めたらしい。
二人きりでゆったりと過ごす秘密の時間はめっきり減ってしまい、正直に言うとアスランは寂しさを覚えたのだが、ギュルシェンがよく笑うようになったことが嬉しかった。
「今ね、『風が呼ぶ場所へ』を練習しているの。難しいけど、もうすぐ弾きこなせると思う」
彼女が特に熱を入れたのは奏楽の技を習得することだった。
それまでろくに触らなかった母親の形見である弓奏楽器を弾き、葦笛を吹く。後宮という場所柄ゆえに音楽の心得のある者は多いが、これほど短期間のうちに腕を上げた者はいないだろう。またたく間に上達し、通しで演奏できる曲目がぐんぐん増えていった。
長春花の局から流れる音色を聞いた後宮の者たちは口々に囁く。
「今まで大人しくしていたのに、急に妓女の子が目立ちたがるようになったわね」
「分相応という言葉を知らないのでしょう」
「延々と曲を奏でて、まるで何かに憑かれたようですこと。なにやら不吉ではありませぬか」
だが、ギュルシェンが皇の娘にふさわしい教養と立ち居振る舞いを身に着けながら成長するにつれ、誰にも相手にされない小娘の手慰みなどという揶揄は次第に立ち消えていった。
何を言われようが、蔑ろにされようが、彼女が誰に対しても柔和な微笑を絶やさず控えめな態度で接していたことが幸いしたのかもしれない。
数多の皇女の中には、庶子への冷遇や才ある者への妬みをあらわにする者もいたようだが、アスランが水を向けてもギュルシェンが弱音を漏らすことはなかった。
その代わり、ほんの時たま、さらりと棘のある言葉を口にするのだ。アスランと二人きりのときに限って。
「『神の恩寵』か。便利な言葉よね。政に携わる者がそこで思考停止してしまうのはどうかと思うけれど」
こうした皮肉めいた物言いも、表情も、アスランだけが知っている彼女の一面。
怯えた小動物のようだった初対面の印象は根強かったが、何年も経つうちに分かってきた。
ギュルシェンは健気に咲く野の花のようであり、すっと伸びた芯ある若木のようでもあり、そして同時に、ただ可憐で柔いだけの娘ではないのだと。
彼女の物事を見る目は厳しいが、そのぶんだけ己に対しても客観的で、辛辣だった。
母親である皇妃や女官たちがいくらギュルシェンを厄介者のように厭っても、アスランにとって彼女はすでに後宮の中で最も近しい存在となっていた。
密かに尊敬の念すら抱いているのだ。
誰にも褒められずとも勉学に打ち込む真剣な横顔。祈りの唱句を朗誦する清雅な声。率直な感想を打ち明けてくれるときの親密な空気は他の何にも代えがたい。
次第にアスランは意識して皇子らしく振る舞うようになった。ギュルシェンの影響が大きいことは否めない。気恥ずかしいので面と向かって言えはしないけれど。
十代半ばになる頃、慣例に従ってアスランは後宮を出て、隣接する宮城へと住まいを移した。
それでも定期的に母親のご機嫌伺いに後宮を訪れるので、皇妃の居室から辞去した後、ギュルシェンと中庭に面した明るい露台で共にお茶を飲むことが多かった。
隠れ家のような小部屋で言葉を交わした子ども時代とは違ってきてしまったが、今ではもう直に咎められることはない。ただ奇異の目で見られるだけだ。
庶子などに肩入れして外聞が悪い、皇子ともあろう者が──といった呆れ混じりの陰口も未だに聞こえてはくるものの、アスランは放っておいた。言いたい者には言わせておけばいい。
ギュルシェンの髪はあの頃より艶やかに長く、くつろいで腰掛けていても凜とした雰囲気が薄れない。
蝶よ花よと慈しまれた結果、山々より高く育った気位を持つ他の皇女たちとは、もはや眼差しからして一線を画していた。