董卓の寵姫となった貂蝉の美貌はますます透明感を増し、憂いの園に咲く幻の花のようだと謳わるようになった。
(貂蝉……今頃どうしているだろうか)
日々精勤する呂布が彼女と会える機会はごくまれにしかなかったけれど、貂蝉の眼差しを忘れることはついぞできなかった。
普段の貂蝉はビ城の奥深くにいて滅多に出てくることはない。董卓が掌中の珠のように偏愛しているせいもあった。小心で疑り深い董卓は、貂蝉が不用意に男どもの目に触れるのを嫌うのだ。
呂布にできるのは、ただ彼女の姿を脳裏に思い描くことだけ。
回廊に囲まれた広大な庭園──睡蓮の咲く池があり、美しい色の鳥と魚が放された小川がある。白い石柱でできた
東屋と、そこに腰掛けている柳のようになよやかな人影。貂蝉。柔らかな陽射しに目を細め、人待ちげな様子で辺りを見ている。
やがてその頬がみるみる鴇色に染まり、珊瑚色の唇が待ち人の名を囁いた。
「奉先さま……お待ちしておりました」
──夢想はいつもそこで途切れる。
想いを胸に秘めた呂布は、より一層無口になり、武勇に更なる磨きをかけていった。堕落の限りを尽くす董卓をよそに、呂布の鬼神のごとき強さだけが広く一人歩きしていく。
『最強』。その称号は呂布のためにのみ在った。
戦場に呂布ありと聞くだけで敵は怖じ気づき、真紅の悍馬に跨った呂布が方天戟を振り上げるだけで戦意を失う。
「俺を楽しませることができる奴はいないのか!?」
血が沸き立つ。猛り吼え、赤兎馬が駆け抜けた後に立っている敵兵など一人もいなかった。ことごとくが地にくずおれ、ただ戦場の土と化す。
吹き荒ぶ砂塵をものともせず、『呂』の旗を掲げた漆黒の軍勢は一頭の巨大な獣のように突き進む。
その先頭には常に呂布の姿があった。
呂布と董卓。そして貂蝉。
三者の関係がやがて時代を動かすことになるのだが、それはまた後の話。
END