夢想百題

017. まったく… (2)


「こんっのバカ者どもめがー! 二人揃ってケガとは何事だー!」
「いや、俺は岱が敵陣に食い込みすぎたのを援護しようとしたのだ」
「何を仰います従兄上、そもそもあなたが突撃したので私はやむなく」
 魏軍を見事撃退し、追撃を終えて凱旋準備に入った蜀軍だったが、救護用の幕舎では喊声(かんせい)に勝るとも劣らぬ怒声が響いていた。
 軍をまとめて被害状況を把握し、撤退の支度にかかっていた馬超と馬岱が、腕に負った軽い傷の手当てを後回しにしていたせいで、目ざとい軍医に見咎められて救護所に放り込まれたのである。
「今は部下たちに指示を出せねばならんのだ。手当てならあとで」
「駄目だ。手当てが先」
「そうだ、魏延も足にケガをしていたぞ! あやつから先に診てやった方が」
「魏延ならもう診た」
「先鋒を務めた趙雲殿の隊員は?」
「さっき診た。どこかの大将と違って兵卒は素直に診せにくるから大変よろしい。位が上になればなるほど傷の手当てを怠るってのは一体どういうわけなんだか」
「うう」
「従兄上、もう口答えしない方が」
「こっちのバカと違って馬岱は賢明だな。いいな馬超、昨日のケガと先月の傷口も一緒に診る。すぐ済むから黙って座っていろ」
「………………承知」
 不機嫌な顔つきで傷を診る軍医はこの上なく尊大そうで、極めつけに口が悪い。それでも軍医としての腕は抜群だし、完治するまで丁寧に配慮してくれる。彼女が従軍するようになってから、傷を受けた後に悪化して四肢切断を余儀なくされる者や後遺症に苦しむ者が格段に減ったのも事実。
 名の知られた華々しい武勲の持ち主が多い蜀軍は、ともすれば我が身を省みずに突撃するような勢いがあるが、それと自棄とは紙一重である。自重と怯懦の境界──「この乱世にあって、彼女はそれを考えさせてくれる貴重な存在だ」と劉備が言っていたのを思い出して、馬超は深く嘆息した。
 身分の区別なく手当てをして叱り飛ばす軍医。確かに一人くらい、こういう人材が必要かもしれない。諸将は彼女の態度の悪さに最初こそ驚いていたものの、今ではもう当たり前に受け入れている。そう、自分同様に。
 なぜだか無性に愉快になって、思わず馬超は晴れやかに笑った。
「ため息つきたいのはこっちだ、まったく」
「ああ、すまんな」
「なに笑ってるんだよ? 忙しい奴だな」
「なんでもない。いつも世話になるな。感謝している」
 殊勝な物言いを変に感じたのか、気味の悪い生き物を見る眼差しで軍医が馬超を眺める。上から下までしげしげと見つめて、やがて気遣わしげに指先がそっと頬に触れてきた。
「ひょっとして頭を打ったのか……?」
 苦笑を浮かべながら馬超が兜を脱ぐと、軍医はありもしない殴打の跡を探して髪に触れ始める。
「違う。思ったことをそのまま言っただけだ」
 ぴたりと手をとめ、軍医は一気に青ざめて馬岱を振り返った。
「馬岱! 大変だ! 重症だぞ!」
「ちょっと待て、それはどういう意味だ?」
「傷口は見当たらないが頭を打ったに違いない! あれほど言い聞かせても態度をまったく改めやしなかった馬超が、反省した素振りだけは上手いバカ馬超が、感謝!? これはまずいっ、すぐ殿に連絡を!」
「俺は正気だ!」
「乱心した奴はみんなそう言うんだ! いいから黙れ、頭のケガに(さわ)る!」
「頭にケガなどしておらん!」
 馬超の抗弁を綺麗に無視して、軍医は彼の武装を解き始める。さすがに手慣れたもので、鎧を脱がせ、籠手を外し、馬超はあっという間に袍姿になってしまった。馬岱は手出しはおろか口出しもできず、むりやり簡易寝台に寝かしつけられた従兄を達観した目で見るだけだ。
「普段の行いってやつですかねえ……」


END