「うおっ
木霊じゃん! すっげ、初めて見た! 噂に違わず小せえなァ、」
鈍く重い、凶悪な物音。
雲取の感嘆の声は断ち切られた。
周囲を静寂が支配する。
鴉天狗の横っ面を鉄扇で鮮やかに張り飛ばした葛葉は、おもむろに咳払いをひとつすると、何事もなかったかのように相手へと向き直り、威儀を正して初対面の挨拶を述べた。
次いで、隣に佇む刀遣いの青年を「旅の連れ」と紹介する。
表情から察するに、どうやら清白は少しばかり緊張ぎみのようだ。
当然かもしれない。葛葉でさえ胸の鼓動が速まっているのだから。
幼児ほどの背丈しかない相手と視線をあわせるために、二人とも片膝をつき跪いたままだった。
如才ない微笑を浮かべた葛葉が本題を切り出す段になって、呆気に取られていた相手はようやく我に返ったらしい。
吹っ飛ばされた鴉天狗をちらちらと気にしつつ、木霊の長は
阿古耶(と名乗った。
──… * * * …──
土蜘蛛の先導で迷いの森を抜け、葛葉と清白おまけに雲取の三人は、ほどなく目的地へとたどり着いた。
火明(の一族が住まう地。
匂いたつほど濃厚な緑に守られた、小さな郷だった。
中央にはひときわ大きく背の高い常緑樹が、集落を見渡すように枝を広げている。針のように細長い葉が無数に茂ったそれは、まるで神木のような威容だった。しめ縄や石碑といった特別な飾りこそ見当たらないが、里の者の畏敬と思慕とを一身に集めているであろうことは想像に難くない。
阿古耶を筆頭とした一族は、この樹に添って穏やかに日々を生きているのだろう。
彼らは皆、いかにも木霊らしい静謐な気配を湛えていた。潤んだような丸い両目。長い睫毛の下にはもの柔らかな理性の光が見え隠れする。身体は小さくとも円熟した雰囲気を感じさせる、そんな人々である。
刑部姫からの連絡を受け、一族の長がじきじきに応対してくれたのだが──
「今、なんと……?」
そこで葛葉は思わぬ事実を聞かされることになった。
たおやかな外見にそぐわぬほどにはっきりと、阿古耶は告げるのだった。
「火明の系譜は、今やいくつもの氏族に分かたれ、我らはその一部にすぎないのです」
かつて一大勢力を誇ったという火明の一族は、あるとき些細なきっかけから分裂して無数の小氏族となり、現在では各地に散り散りに暮らしているのだという。
在りし日には火明の本拠だったという土地で出迎えてくれた彼女らは、その流れを汲む火明の裔──
穂積(と名乗る木霊たち。
──〈おぬしらはすでに彼の末裔の領域に踏み入っているのだ〉
土蜘蛛の言葉が耳によみがえる。
末裔とはこういう意味だったのか。
「なんと……」
とっさに二の句が継げず、葛葉は喘いだ。
そんな事態は予想だにしなかった。いや、そもそも火明の存在自体を刑部姫から教わって初めて知った体たらくなのだが。
箱入り娘だった葛葉に、人間の清白。それに自由気ままな勝手者の雲取。
この顔ぶれでの先行きに、ふと不安を覚えた瞬間だった。
「ふうむ。だとすると、刑部姫が言っていた怨霊封じの手立てってのは? 何か知っていたら教えてくれないか」
落ち着いた物腰で訊ねる清白を見て、葛葉はすぐに思い改めた。
この場にただひとりの人間で、見知らぬ人妖の里に足を踏み入れて緊張していないはずがないのに、清白は物怖じしない。事実を確認すべく冷静に他者と交渉できる。少々言葉遣いはくだけているけれど、それを差し引いても頼もしいと思えるほどに。
自分が動揺してどうするのだ。内心で己を叱咤し、葛葉は阿古耶の返答を待った。
「数百年前に怨霊が現れた折、封じの戦にて用いられたという火明の瑞宝のうちのひとつが、この里にあるのです」
聞くや否や、ぱっと喜色を浮かべて葛葉と清白は互いに顔を見合わせる。
「父上や刑部姫がその昔に使われた神器か!」
「おそらくは。当時を直接知る者は穂積にはおりませんが、少なくとも我々はそう伝え聞いております。
ただ、残念ながらここにあるのはひとつだけなのです。かつて火明が秘蔵していた十種の瑞宝は、一族の枝分かれとともに離散してしまっていますから」
阿古耶は周囲で見守る同胞たちと視線を交わし、小さく頷いた。
何もかも見通すような阿古耶の眼差しが葛葉に注がれ、清白へと移り、けろりとした顔で身を起こした雲取をも眺めて……そして再び葛葉をきっかりと見据え、穂積の長は言葉を紡ぐ。
「我らの瑞宝をあなたがたにお貸ししましょう。──でき得るならば旅に同行して手助けしたいのですが、その、」
言い淀む阿古耶に、葛葉は微笑んで首を横に振った。木霊は樹木に添って生きる大地の人妖。棲みかを遠く離れると命に関わるという。