夢想百題

038. 星の乙女 (2)


 美しい容貌の、どことなく風変わりな麗人である。
 結い上げられた豊かな髪は青みがかった黒──青墨色。その髪房はところどころ淡黄に染められ、中性的な肢体と相まって実に人目を引く。
 深い青墨色の双眸で麗人は無遠慮に見つめ返してくる。
 意図が、読めない。
 毛並みを逆立てる猫のように、自分の中で神経がささくれ立っていくのが分かった。
「何とか言いや」
 とりあえず衣類を身につけるべきなのだろうが、ここで目をそらすのは癪に障る。
「白碇城の姫御前……あなたね」
 思いのほか、低く、甘やかな声だった。
 聞いた途端に葛葉は確信する。やはりヒトではない。人妖だ。
「穂積から報せがあったわ。あの怨霊を追っているんですってね」
「左様じゃ。そう言うおぬしは物部(もののべ)の者かえ」
 いきなり入浴中に踏み込んできた上、初対面で名乗りもしない無礼な輩に出自を言い当てられたのは腹立たしいが、ぐっと堪えて受け答える。
 葛葉らが穂積の里を出立するに先駆けて、木霊の長たる阿古耶(あこや)が物部氏族に協力を打診してくれたのだ。連絡の妖術というのはこういうときに役立つ。
 穂積からの報せを聞いたというなら、つまりこの闖入者は物部の里の者のはず。
 なのに麗人の返答ときたら、意味ありげな含み笑いのみだった。
 そちらから接触してきておきながら、この人を食った対応。肯定も否定もしないとは一体どういう腹積もりなのか。温泉に浸かって上々だった葛葉の機嫌が急激に傾斜していく。
「ともかく、いま着替えるゆえ向こうで待ちやれ」
 ふつふつと募る苛立ちを抑える気にもなれない。
 適当に水気を拭って身なりを整える間中、甘い毒のような視線が絡みついてきたのも鬱陶しい。
 旅に出て以来、簡素な水干袴にもすっかり馴染んだ。着替えに手間取ることもないのだが、こうも間近で露骨に注視されては居心地が悪くてたまらない。
 髪を乾かすのは後回しにして振り返ると、相手は胸の前で腕組みをしてこちらを見ていた。
(もしや、威嚇されておるのかえ?)
 読めない笑みを浮かべる麗人を前に、葛葉は唇を引き結んだ。

「さて、いかにも妾は白碇城の白蔵大主が娘、葛葉じゃ」
 水気を拭くのが雑だったせいで単衣が肌に張りつく。髪も、いつもだったら妖術で乾かして梳くところなのに、今は絞って背に流しただけ。
 不快な感触がそこここに広がっていく。
 女はなおも無言。整った造作の顔に張りついた含みのある笑みが、無性に癇に障る。
「ほほぉう、そうか。名乗らぬならばそれもよかろう。妾の好きに呼ぶぞえ。この二足歩行の女郎蜘蛛」
「……は?」
 ようやく表情が動いた。面食らったようだ。
「おぬしは女郎蜘蛛に似ておるよしに」
「……あたしは(ぬえ)よ。天狐の姫様はそんなこともお分かりにならないのかしら」
 どうりで、艶めいた容姿なのにどこか中性的なはずである。鵺の特徴だ。
 人妖の中でもひときわ謎の多い、能力や暮らしぶりがほとんど知られていない種族。もちろん葛葉が実際に会ったのは初めてだった。
「物部の衆は鵺かえ。なるほどのう」
 木霊の長である阿古耶は、神代を継ぐ始祖のもとにいくつもの種族が集まって生まれたのが火明の勢力だ、と言っていた。おそらく木霊と鵺以外の種族にも、かの末裔を名乗る人々がいるのだろう。
「……して、おぬしの目的はなんじゃ。迎えに来てくれたわけではなかろうに」
「あら、それはお分かりになるのね」
 目を細めて笑う様はあでやかだが、唇からこぼれ出る言葉には棘が生えている。触れたら毒が回りそうだ。
「ま、それだけ敵意をあらわにされればの」
「心外だわ。あたしはただ──」
 優美な仕草で鵺が手を伸ばした。
 その掌に、妖術の構成が灯る。
 整えられた爪先が不吉に輝いた。
「あなたを試したいだけよ」
 刹那。
 炎が噴き上がった。扇状に、葛葉へと向かって。
「あっ……ぶないのう!」
 火の粉が弾ける。とっさに編んだ防御構成に阻まれて炎は四散したが、葛葉めがけて追撃が次々に閃く。
 鵺は一歩も動いていない。
 彼女を要として攻撃術が縦横に展開されていく。
 おそろしく精緻に組み上げられた構成を視て、葛葉は口の中で唸った。
 鵺という種族は妖力量では天狐に及ばないが、徹底的に無駄をそぎ落とし洗練された構成を編むことによって、この鵺は少ない妖力で大きな効果を生んでいる。
 天賦の才に恵まれた上に、よほど術の鍛錬を重ねなければ不可能なことだ。