異端者たちの夜想曲

三久嶋 杏子の手記より抜粋



あなたと過ごした五年間、私、それがずっと心配だった。
あなたの中で、ヒイラギという人間の占めている部分が大きすぎる。
何をするにもヒイラギが第一。言動の全てがヒイラギのため。
彼を慕っている、なんて生半可なものじゃなく……
全ての価値基準の中心に、揺らぎようもなくヒイラギが据えられている。

あなたはとても賢い子だから、自分で分かっているとは思うけれど。
でも、憶えておいて。
あなたと彼は、別の人間です。
ヒイラギがあなたの全てだと、思いつめないでください。
彼には彼の。あなたには、あなたの、それぞれの道があるでしょう。
道、生き方、人生に処する態度。そう言い換えてもいい。
私の願いは、あなたが己のそれを貫き、全うすることです。
ただ他人に追従するのではなく。
自ら選び取った旅路を、たゆまずに歩き続けてほしいのです。

諦めないで。
投げ出さないで。
自分で自分の存在を規定しないで。

ねえ雪、想像してみてください。
たとえば十年後。
あなたはどこで、何をしているのでしょうか。
誰の隣にいるのでしょうか。
それはまだ誰にも分からない。

ちなみに私は十年前、フィレンツェで古美術の勉強をしていました。
仕事で嫌々行ったんだけどね、なぜか気に入ってそのまましばらく居着いてしまったの。
時間の流れが止まったようなあの街の工房で、修復士の友人に囲まれて。楽しかったな。

信じられる?
更にその十年前は、まだ東西分裂していた頃のドイツ、西ベルリン。
外務省関係者以外の日本人、それも子どもは、すごく珍しがられたっけ。
でも、なかなか良いところでした。あなたもぜひ行ってみてください。

そして今は……ここでこうして、あなたへのメッセージを書いています。

これが私の選んだ道。

あなたの道は、これからあなたが自分の手で選び、切り拓いていくものです。
その結果としてのあなたの未来を、私は見ることができないけれど。
それでも祈らずにはいられません。

私の最後の気がかり。

私は自分の信念を貫くために逝く。

でも、あなたは、貫くために生きなさい。


どうか雪、
あなたの幸せ、
見つけてください。


END