婚姻に際して、いくつかの独特な風習が天人国にはある。
その代表が、花嫁の衣装。新婦となる娘の、母方にあたる氏族の女性らの手によって、ひと針ひとはり時間をかけて、婚礼の衣装一式は縫い上げられるのである。身分の貴賤に関わらず、国中で続けられている古くからの倣わしだった。
つまり、新郎新婦は、花嫁の父方のみならず、母方の親族からも同意と祝福とを得なければならないということであり、嫁いだ後も女系の血族の繋がりは連綿と続くということでもある。氏素性を尊重する血統主義の国ならではの倣わしだろう。
一族に女の子が生まれることは繁栄と結束を意味し、その子の嫁入り衣装をあつらえることを、人生の大きな節目として考える女性は多い。
天人王妃もまた、そうした女性の一人だった。
ミカエル王との間に授かった一男二女のうち、二人の娘がすでに嫁いだ現在、王妃の関心は世継姫であるルシファーに注がれている。続柄から言えば王妃の義理の姪にあたる少女だが、ルシファーの母親の一族は八年前の大戦で絶えてしまっているので、代わりにできる限りのことをしてやりたいのである。
手塩にかけて育ててきたルシファーも、もうすぐ十五歳。未だに婚約は整っていない。
“夫君殿下”に相応しい人材を、国内貴族の中から見出せずにいるせいだった。王をはじめ誰もが大戦の事後処理に追われ、瞬く間に数年間が過ぎてしまったせいもある。とはいえ王家の姫としてこれは前代未聞の事態であり、王と王妃の悩みの種でもあった。
そもそも天人種族は早婚の傾向にある。家や氏族の繋がりを重視する貴族はなおさらだ。身分が高くなればなるほど、幼いうちから将来の伴侶を決められて、互いに交流を深めながら時期の訪れを待つのである。ましてや直系王族ともなれば……。
いくら王太子の伴侶は検討に検討を重ねた上で選ばれるとはいえ、ルシファーが正式に立太子できる日が間近に迫っている以上、宮廷官人らの気が急いてしまうのは仕方のないことであった。
王室御用達の養蚕地で丹精された、最高級の絹織物から仕立てられたドレスは今も仮縫いのまま、華燭の典の日取りが決まるときを待ちわびている。王妃は時折それを眺めては、かすかに苦笑するのだった。
(身分、能力、見識、人格、容姿……重臣たちの審査にすべて適う青年など、そうそういるものではないものね)
実のところ、近衛兵団長を務める王妃の息子・ジブリールを推す声が近頃かなり増えており、さえずりを好む宮廷雀たちの格好の話題にされているようだったが、はっきりとした決裁が下されたわけではない。
……あるいは、ルシファーに好いた相手がいるのなら。
いずれ中継ぎの現王から
禅譲を受け、四軍百官万民を統べる無二の王となるべく月日を重ねてきた彼女が、夫にと望むような相手。もしもそんな男性がいれば、よほどの事情がない限り、宮廷人たちは婚約を認めるだろう。先代王妃──ルシファーの母親も同じようにして王宮に迎えられたのだから。
(早くこのドレスの本縫いをしたいものだわ。一国を担う重責と苦難を分かち合える、生涯の伴侶の隣に並び立った、あの子の晴れの姿を思い浮かべながら、一針ずつ……)
政治的にも、私的にも、王妃はそう願わずにはいられない。
気高く麗しい純白の花嫁衣装は、ルシファーの花のような容貌によく映えることだろう。
ミカエルが王位を返還し、ルシファーが天人国で最も高貴な女性となったとき、その傍らで彼女を支えてくれるのは、一体どんな青年なのだろうか。
ひんやりした清らかな生地に指先で触れ、王妃は物思いに沈む。
(この衣装を身に着けたとき、どうか、あの子が幸せでありますように)
繰り返し、何度も祈る。
ルシファーは気丈な娘だ。両親と兄とを亡くしたとき、子どもながらも死の意味を充分理解していただろうに、いつまでも泣き暮らしたりはしなかった。
囚われていた海人国で受けた仕打ちに耐え、その後には自分の力を操るすべを積極的に学んだ。ずっと、周囲が満足する立派な世継姫であり続けた。
だからこそ、これからの彼女に必要なのは、ともに助け合っていける半身──彼女を真心から労り、張り詰められた心をほぐしてくれるような存在なのだ。そうした者が間近にいなければ在位は長く続かない。すでに歴史が証明していることだった。
ルシファーには幸せになってほしい。
壮麗な花嫁衣装を纏った少女の笑顔が、まぶたの裏に鮮やかに浮かんだ。
(夭折した肉親のぶんまで、などと贅沢は願いません。でも、せめて)
せめて少しでも、世間の娘のような心の安らぎを、あの子に──。
END
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衣食住】3のお題