WILL

いつかきっと



六二〇年収穫月/アリア


 ずっとこのままだったらどうしよう。
 磨き込まれた鏡面にふと目を留めたあたしの口からは、無意識のうちにそんな呟きがすべり出ていた。
 身体は湯でじゅうぶんに温まったけれど、胸のうちは逆にひんやりと冷たいものに浸されていく。
 本当に……どうしよう。
 広い浴室の一角、着替えをするための次の間には大きな姿見が置かれている。そこに映った自分の身体。あたしは努めて冷静に、客観的に、鏡の中の少女を観察する。
 やっぱり……改めて見ると、なんて貧相なんだろう。
 身長が低く、手足は華奢。体重も軽い。肉がついていない上に筋肉質でもない。子どもらしいふくよかさも、女性的なまろやかさも見当たらない。ないない尽くしの貧弱体型──。

 あ、いけない眩暈が。

 今までに大人に囲まれた生活だったから気がつかなかったけれど、家出して世間を眺めた限りでは多分あたし、同世代の子と比べて、その、つまり、発育不良? に、近いのかもしれない。
 正直認めたくない。そりゃあもう否定したい。でも鏡というのは無情ですね。ちょっとくらい思いやり機能がついてたっていいのに!
 ま、まあ病的なほどではないのが唯一の救いかな。定期的に受けている健康診断や各種体力測定でも異常はないわけだし。
 うーん。でもねえ。それにしたって、十四歳にもなってこの身体つきって……!
 特に気になるのが身長の低さ。そんなに小柄な家系じゃないはずなのに。
 実際、飾られている肖像画や、定期発刊の新事誌に描かれた姿を見れば、同じ血を分けた姉上がすらりとした体型であるのが分かる。多少美化されているであろう分を差し引いても、だ。
 十四歳の頃の姉上はどのくらい背が高かったのだろう。それを記憶していない自分が、少しだけ歯がゆかった。
 それにティキュさんも。しなやかな長身で、とっても綺麗だった。出るところは出て、引っ込むところはきゅっとしてて。一体何を食べたらああいう美しい成熟体型になれるのやら。この前会ったときに聞いておけばよかった。
 麗しい二人を思い出すと、鏡に映った自分がよけいに貧しく感じられる。

 あと二年八か月で成人を迎えてしまうあたしに、まだ成長の余地は残っているのか否か。
 いやいやいや、だってまだ十四歳、残っているでしょ。きっとそのはず。残ってなきゃ泣く。残っていてくださいお願いだから!

 *

 居ても立ってもいられず、それから直行したのは書架庫だった。
 書籍がぎっしり詰まった本棚が、これまた部屋中にぎっしり詰まっている。等間隔を空けて林立する本棚は分野ごとに分かれ、その蔵書量ときたらものすごい。すべて読もうと思ったら何十年もかかってしまうかもしれない。これがすべてあたし一人のために集められたなんて、未だに信じられないくらいだ。セルペンティス会長、ありがたいけどちょっとやりすぎ。
 とはいえ今はその圧倒的な情報量が頼もしかった。ここになら理想に近づくための手がかりが眠っているに違いない。
 『成長期の食事と運動』『食育』『健康づくりの秘訣』などなど。ひとり書棚と向き合うことしばし。目次を眺めては元に戻し、良さそうな表題を見つけては手に取って。
 やがて探し求める記述を発見!
 よーし、さっそく明日から実行しなきゃ。自分の伸びしろを信じるんだ!

 *

 成長を促すには運動と食事が鍵となる。
 運動はまあ、御殿のすぐ隣にある泳場で泳いだり、いざというときのための護身術を習ったりしているから、とりあえず現状維持でいいと思う。できる範囲のことを続けるのが一番。やりすぎはよくない。ただ、身体を動かすときにはこう心の中で唱えることにした。引きしまった筋肉がつきますよーに!
 それから日光浴。
 何せ外には滅多に出られないのだ。代わりに窓越しでも光を浴びようというわけですよ。ほら、植物だってお日様の光を浴びて大きくなるでしょ。日陰だとひょろひょろになるって言うし。
 この夢路御殿は公都の東側に位置しているわけだから、昇る朝陽を仰ぐには格好の土地だ。朝食前のひととき、お天気がよければ窓を開け放って深呼吸。降り注ぐ陽光を取り込むような気持ちで思いっきり伸びをする。背が伸びますよーに! できれば踏み台なしでも出窓の鍵に手が届くようになりますよーにっ!

 そして、食べ物。これ重要。
 あたしの食事は三食とも料理人さんがきちんと考えて作ってくれるから改善しようがない。なので、成長に良いとされるもの──大豆を、おやつに摂ることにした。
 大豆、大豆、大豆ですよ。
 成長を促す栄養満点な食材、と昨日見つけた本に書かれていたのだ。料理人さんにも確認したから間違いない。あたしを救ってくれるのは大豆、ううん大豆さまだ!
 調べるまでちっとも知らなかったけど、小さな粒の中に栄養素がぎゅっと詰まっているらしい。成長を促し、体調を整え、おまけに美肌効果あり。これぞまさに万能食材!

 期待にはち切れんばかりになったあたしの前に運ばれてきたおやつは、予想どおり、見た目かなり地味だった。
 つるりとした光沢の粒。甘く煮た大豆だ。小鉢に豆だけが盛られた様子はちょっと斬新な感じがする。
 その隣、硝子の器に注がれた白い飲み物は、大豆をすり潰して煮詰め、砂糖で味を整えて冷やしたものだという。
 昨夜、侍女頭のメルに「背を伸ばしたい、大豆が良いらしいからおやつに食べたい」と打ち明けたところ、さっそく厨房方と相談してくれたのだ。
 今までずっと甘い系のお菓子──小麦粉と牛酪の生地に、季節の果実ジャムを乗せた木の葉型の焼き菓子とか──が多かったから、突然のおやつの変化に戸惑わなかったはずがないだろうに、給仕の侍女はいつもどおり何も話しかけてはこなかった。
 あたしは退出していく侍女を目の端にとらえつつ、気にせず飲み物に口をつける。
 ……う。甘く味付けてあるとはいえ、なんかこう独特な青臭さが……、いやでもそれがまた癖になりそうな予感。
 うん。これを毎日食べ続ければ、あたしだってきっと!
 きっちり全部おなかに収めて、あたしは祈るような気持ちで大きく伸びをした。

 *

 大豆さま大豆さま、どうかよろしくお願いします。
 背が伸びますように。もうちょっと女の子らしい身体つきになれますように。
 姉上やティキュさんのような……というのは高望みしすぎだろうけど、せめて歳相応の、貧相でない大人になりたいです。
 鏡に映った自分を見て微笑むことができる日が、いつか訪れてくれますように。


END


【遠くの人へ5のお題】
お題拝借:alamoana様