WILL

紛争地帯の歌姫



六一九年葡萄月/アリア



『歌姫ルーチェ・アルバ、反戦歌を奉納』

 大きな見出し文が目に飛び込んできて、思わず書き物机に広げていた新事誌を手に取る。
 世に向けて公表された様々な出来事をまとめた大衆情報誌は、アリアにとって月に二度の楽しみだ。国が月三回発行する新事誌と比べて記事の確度は劣るものの、そのぶん読み手の興味を引くよう工夫が凝らされている。
 民間誌は広告欄や雑文も多く、末尾に綴られた城下の菓子店の新作紹介ひとつひとつまで、実際の様子を想像しながらゆっくりと読み込むことで、際限なく持て余す一人の時間を消費するのが数年来の習慣となっていた。

 ルーチェ・アルバ。
 歌姫といえば彼女を指すというくらい有名な人だ。
 治安の良くない、政情の不安定な地域へ進んで慰問を重ね、時には前線近くにすら赴いて歌を披露する。高らかに歌い上げるのは平和への願い。脅かされることのない明日。
 たびたび話題をさらっていく彼女に大公国の新事誌がつけた呼び名は『紛争地帯の歌姫』。
 一昨年にも、戦火の未だ燻る東の小国で飛び込みの無償公演を開き、四方八方から非難と称賛を浴びていた。
 どうやら最近もまた同じように戦地で舞台に立ったらしい。
 ジュムール皇国の武力脅威に疲弊した小さな国で、子どもたちに遊びながら歌える童歌を教え、彼らの信奉する神に歌を奉納したのだという。

 記事には両手を広げて全身で歌うルーチェの姿絵が添えられていた。
 淡褐色の肌を、波打つ長い髪が彩っている。前を見つめる真摯な眼差し。その瞳は金茶色だ。彼女の出身はたしか西の方、複雑な成り立ちをした連邦国だったはず。
 母国を飛び出し、世界中を巡る。祈りを歌に換えて人々に伝える。広く垣根なく、時には危険をおしてでも。
 遠い異国を感じさせる人物である。描き出された身体つきからして公国人とはかなり異なる。経歴、立場、何もかもがアリアとはかけ離れている。
 ──なのに、どうしてルーチェ・アルバという歌手を、これほど慕わしく思えるのだろう。

 ルーチェの活動について書かれた記事を読むのが好きだった。
 彼女の世界的な活躍を知るたびに、幼い憧れと羨望がない交ぜとなり、自分の中の繊細な部分がひどく刺激された。
 もちろん彼女を咎める声が少なくないことも知っている。国同士の戦争にしろ内戦にしろ、緊迫した抗争状態にある地域に自ら踏み入って衆目を集めるのだ。反発がないはずがない。
 まして、その歌は穏やかな未来を希うもの。飾らない直截的な歌詞は、下手をすれば統治者への批判声明と受け取られてもおかしくない。
 それでなくともルーチェ・アルバは名の知れ渡った歌唱手で、多少の護衛は雇っているにせよ、あくまでも平民の、若い女性である。著名人の身柄を拘束して金銭取引に利用しようとする武装集団の、格好の獲物と言っても過言ではない。
 実際、身の危険が差し迫ったこともあった。記事にされているだけで二度、ルーチェは襲撃を受けている。どちらも大事に至らず犯人達は取り押さえられているけれど、他にも表沙汰にならないいざこざが現地では起きているだろう、というのが専らの見立てだった。

 これらは全て、新事誌の受け売りである。アリアの頭に蓄積された情報は、根雪のように降り積もるばかりで本当か否か確認の取りようがない。
 彼女の名が綴られた紙面をそっと指先でなぞってみた。無論そこに温度はない。『女神の歌声』などと称えられる美声も想像するより他ない。
 ルーチェの歌を聴くことができたなら……
 夢想せずにはいられなかった。
 ひたむきな願いを乗せた声が、詞が、旋律が、見事な歌となって紡がれる。共鳴し、深みを増して、どこまでも伸びていく。
 きっと圧倒されるだろう。目には見えずとも、確かに自分の中に刻み込まれるものがあるだろう。
 記事によれば大層人気があるそうなので、プレアデス大公国へ来てくれたら諸手を挙げて歓迎されるに決まっている。戦地を訪れた後はしばらく豊かな国で興行するのがルーチェの活動傾向だ。ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない。

 ただ、仮に実現したとしても、アリアがその歌声を直に拝聴するのは難しい。おそらく姉大公に会うことよりも望み薄に違いない。何しろ夢路御殿の敷地から出られるのは乗馬訓練の時くらいで、普段は窓辺から見える庭園にすら自由に下りられないのだから。
 アリアにできるのは、だから、空想することだけだ。
 その双眸が見据える先を。
 この世界は、彼女にはどんなふうに見えているのだろうか、と。
 たった一人で立ち向かい続ける胸の内を、密かに訊いてみたい。

 丁寧に切り抜いた記事を専用の簿冊に貼りつけ、日付と誌名を書き添えると、アリアは再び黙想へと沈み込んでいくのだった。


END