普段生徒がめったに足を踏み入れないエリアの最上階に、理事長室は存在する。
 エレベーターを降りた先は上品な臙脂色の絨毯敷きになっていて、通路のところどころに色鮮やかな花が活けてある。図書館と似た静寂にフロアごと浸されていた。レヴィスさんに連れられていなければ気後れしてしまったに違いない。
 通路の先には秘書の人たちの事務スペースだ。レヴィスさんが理事長に会いたい旨を告げると、秘書のひとりがすぐに取り次いでくれた。ちらりとあたしのほうを見た視線に他意はないのだろう。たぶん。
「司書のレヴィスです。突然で申し訳ございません。例のコーナーにあった本のことで少々お尋ねしたく」
 入口で丁寧に一礼するレヴィスさんを見習って、あたしも同じように頭を下げた。 「入ってちょうだい──あら、アリア?」
 驚いて立ち上がったその人は、若干二十五歳にして学校法人スバル学園の理事長を務める女性。まるで大輪の白薔薇のように迫力のある美貌。
 名前はキリエという。あたしの、実の姉だ。その事実を知る人はあまりいないのだけれど。
 歳が離れている上に、事情があって離れて暮らしているせいか、正直なところ最近あたしは姉にどう接していいのかわからない。今もまた言葉に詰まって、ただうつむくことしかできなかった。
「理事長。この本に覚えはおありでしょうか」
 まったくレヴィスさんは鉄面皮だ。姉妹の間に漂いかけた微妙な空気を遮って、件の怪しい予言本(?)を差し出した。触れたら指紋が残りそうな執務机に置かれた本は、こうして見るとごく普通の本のように思える。
「あ、この本探してたんですよ。オススメコーナーに紛れてしまっていたんですね。ありがとう、助かりました」
 理事長はあっさり言って本を手に取った。
「先程その本を開いたら妙な現象が起きました。白紙の中にいきなり文字が浮き出てきたのです。それも、私が開いた時とこの子が開いた時とでは、違った文面が」
「……見たのですか」
「ええ。はっきりと」
 理事長がこちらを見つめてくるのを感じて、あたしは頷いた。
「この本はね、学園理事長に代々伝わる希書です。どこから来たのか、なぜこんな力があるのか誰にも分からない。それでも確かに遙かな昔から存在している。そういう珍しい本」
 だから他言は無用ですよ、と告げる理事長の声は淡々としていて何の含みも感じられない。事実を言っているだけ、なのだろう。
 ……あ。

 ──あなたは口止めをされるでしょう──

 これのことか!
 激しく腑に落ちた。でも、じゃあ、あたしがページを見たときの『恐怖のあまり言葉を失う』っていうのは?
「少しだけ未来の出来事が予言のように綴られる本だなんて、まるで七不思議のようでしょう」
「理事長はその本を使われることがおありなのですか?」
 驚きの色を見せず、ごく普通に訊ねるレヴィスさん。理事長はにっこり笑ってこう返した。
「たまにはそういうこともありますよ。そうですね……例えば、制服のリニューアルを理事会に諮るときなどに」
 制服のリニューアル? そんな案があるんですか。知らなかった、って当たり前か。これから理事さんたちで審議する段階なんだもんね。
「まあ、理詰めで資料を揃えた上に、事前に根回しして万全を期すわけだから、この本は単なる確認みたいなものですけどね……ふふ」
 ふふ、って。なんか今ものすごく黒っぽいオーラが見えましたけど!?
「じきに実現しますよ。あなたにはよく似合う可愛い制服を着てほしいですからね」
 姉上……? 一体ナニをしようとしてるんデスカ……!?
 思わず硬直したあたしを残して、レヴィスさんは再び一礼して部屋を出て行ってしまった。もしかして妙な気を回してくれたのかもしれないけれど、ちょっとお願い置いてかないで! なんか怖い! レヴィスさーん!
 あたしは金縛りにあったかのように身動きできず、その絶叫も脳内に響き渡るのみだった。


   END

「ほんとに怖くて何も言えませんでした……」