中庭に下りると、午前中の爽やかな陽射しが頭上から降り注いできた。
ティキュ先輩が追いかけてくる気配はない。彼女がキモノを纏っていて早く走れないのが幸いだった。
あたしはほっと一息ついて周囲を見渡す。
適当に時間を潰したら教室に戻ろう。さすがに普通の授業にまで乱入してくることはないだろう。……うん、ないといいな!
半ば祈るような気持ちになったとき、中庭の隅で誰かが立ち上がるのが見えた。一瞬ぎくりとしたが、その人影は男子生徒のものだった。
「あれ、こんな時間にどうしたの?」
たった今まで花壇の手入れをしていたらしい。軍手をはめた片手には小さなシャベル、引き抜かれたばかりの雑草はきちんとビニール袋にまとめられている。
高等部一年のハルイ先輩だった。園芸部所属で、いつも暇を見つけては学校中の花壇の世話をしている人だ。特別親しいわけではないけれど、頼まれて何度か花の種を植える作業なんかを手伝ったことがある。
「や、その、ちょっとですね、色々とありましてね……」
もごもごと事情を説明しかねていると、回廊から中庭へと続く扉が、バンッと音を立てて開かれた。
「ちょっとそこの園芸部! その子はコスプレ同好会に入るのよ! 横槍入れないでちょうだいね!」
思わず悲鳴を上げそうになった。ティキュ先輩、豪奢なキモノをたくし上げてあたしを追跡してきたようだ。お願いだからもう見逃してほしい!
ハルイ先輩と二人で唖然としていたのだが、我に返ったのは先輩のほうが早かった。花魁姿の上級生にびしりと指を突きつけ、
「それは違う。この子は園芸部に入るんだ!」
ええええ。ちょ、それ、一体どういうことデスカ!?
驚いてハルイ先輩を見るが、あたしのことなどまったく意に介さず、彼は真顔のままティキュ先輩に烈火のごとく猛反論し始めた。
「横槍うんぬんはこっちの台詞だよ。僕のほうが先にこの子に目をつけたんだからな」
「なんですって?」
「いきなり勧誘しても断られるのがオチだろ。半年も前から計画的に、少しずつ活動を手伝ってもらって、そろそろ正式入部を持ちかけようかっていう段階なんだ。いまさらポッと出のコス会なんかに譲れないね」
「くっ……。でも、お生憎様ね。勧誘の後先なんて関係ないわ。入会届を書かせたもん勝ちよっ!」
鋭い視線がぶつかり合う。飛び散る火花が見えた気がした。
「うちはね、切実なのよ。頭数を確保しなきゃ次期の活動費を削減する、って生徒会長から言い渡されてるの。分かる? 予算を審議するんじゃなくって執行宣告よ。あの生徒会長はやると言ったら絶対やるわ。情け容赦ないんだからね。つまりうちは崖っぷちなの。背水の陣なの。今頃ビラ配りで投網したって効果は薄いし、やるなら大物一本釣り作戦で起死回生を狙うのは当然でしょ!」
「そんなの僕の知ったことか。だいたいコスプレって個人の趣味じゃないか。学校には何ひとつ益がないんだから、そんなのクラブ活動にする意味ないだろ。自宅で個人的にひっそり着せ替えやってりゃいいんだ」
「あ、コスを馬鹿にしたわね? コスはねえ、あんたが思ってるよりずっと深いのよ。人間誰しもが心の奥底に持っている変身願望を満たし、人脈作りもできる。コミュニケーション能力が鍛えられるのよ。つまり人間性の成長にも繋がるわ。あんたの今の発言は聞き捨てならないわ。撤回なさい。全国十万人のレイヤーに謝りなさいよ!」
……収集がつきそうもないこの事態、一体どうしたらいいんだろうか。なんだか気が遠くなってきた。
⇒ (1) そーっと逃げる
⇒ (2) 助けを呼ぶ