本来憩いの場であるはずの中庭は、泥沼の舌戦が繰り広げられる修羅場と化した。
 終わりの見えないこのバトル、一体どうしたらいいのー!?
 ハルイ先輩とティキュ先輩、二人とも明らかにヒートアップしてきている。このままではいつ取っ組み合いに発展してもおかしくない。
「誰か助けてぇぇ!」
 半泣きのあたしはおろおろした挙句、耐え切れずに叫び声を上げていた。
 その切実な声はむなしく空に吸い込まれて消える……かと思いきや!
「なんじゃ。なんぞ諍い事かえ」
 突如、あらぬ方角から新たなる人影が!
「これはまた……珍しい格好をしておる輩じゃのう」
 たまたま近くを通りすがったらしいその人は、花魁姿のティキュ先輩を見て軽く目をみはったものの、さして怯みもせずに近づいてくる。
 ゆったりとした口調と物腰なのに、その眼光は鋭く覇気に満ちている。ものすごい目力。とうてい高校三年生には思えない美貌とプロポーションと存在感。一介の学生にしてすでに大姉御の貫禄を持った、学園の有名人だった。
 彼女──畏敬を込めて『番長』と呼ばれる葛葉先輩は、状況を一瞥しただけでおおよその事情を悟ったらしかった。葛葉先輩の登場にも気づかず言い争いを続ける二人のほうへ、すたすたと歩み寄る。
 そして。息を詰めて見守るあたしの前で、葛葉先輩は、いとも無造作に二人を張り倒した。それはもう小気味良いくらいの鉄拳、会心の一撃。二人とも声すら上げずに崩れ落ちる。
「喧嘩両成敗じゃ。どんな事情があるのか知らぬが、公衆の場でそうも罵り合うのは見苦しいぞえ。ちと頭を冷やすがよかろ」
 言い置いて、葛葉先輩は長い髪を翻す。
 圧倒的だった。
 静かになった中庭に風が吹き行く。ふと、ほのかに良い香りが漂った。柑橘系。葛葉先輩の香水だろうか。辺りが清められるような、凛々しいあの人に相応しい香りだ。
 葛葉先輩の振る舞いに見入っていたあたしは、はっと我に返って後姿に追いすがった。
「あの、待ってください。先輩、そのう……ありがとうございました、あたし、えっと、」
 うまく喋れない、もどかしい。言葉を撚り合わせて自分の気持ちを表現するのって、こんなにも難しいことだっただろうか。
 懸命に話しかけようとするのだけれど、葛葉先輩の眼差しを直に浴びれば浴びるほど言葉は詰まり、唇がわなないて空回りする。
 一人で勝手に追い詰められたあたしは、身長差のある葛葉先輩を見上げて、ただ一言だけを口にした。
「弟子にしてくださいっ!」
 もしここにエルガー先輩あたりが居合わせたら腹を抱えて爆笑したに違いない。けれど葛葉先輩は笑わなかった。真意を測るようにまっすぐに見つめてくる。
 無言のひととき。あたしは先輩の視線を受け止めるために渾身の気力をふり絞った。
「おぬし、名は?」
「はいっ。あ……アリアといいます。中等部二年、です」
「妾は暇なときは大抵このあたりで日向ぼっこしておる」
 日向ぼっこ。なんだか意外な単語が出てきたよ!
「弟子うんぬんはともかくとして、まあ気が向いたらまた来るがいい。中庭は生徒みなのものじゃからのう」
 のんびりと言うその口元は、かすかに、けれど確かに微笑んでいた。
 無性に嬉しくなったあたしは、勢い良く返事をして、そしてもう一度御礼の言葉とともに頭をさげる。
 今日はさんざんな目に遭ったけれど、台風一過、雷雨のあとすっかり晴れ渡った空のような、そんな心境だった。


   END

「いつかあたしもサルビア先生や葛葉先輩みたいな素敵な女性になれるかなぁ」