2周年記念

「あの時、俺は何もできなかった」



ゅ様リクエスト
セレシアス+黄昏時


 ──潮騒。
 どこか懐かしい波の音が辺りに満ちている。凪いだ内海。飛沫すら上げることなく砂浜に忍び寄り、濡れた跡だけ残して引いて……
 満ち潮の時に打ち上げられた木片や、絡み合った海草なども取り残されている。正直なところ興味を引かれたけれど、アリアはまっすぐにセレシアスだけを見上げた。
「セレス君……」
 すでに陽は沈み、海には昼間のような目映さはない。穏やかに、ゆるゆると砂浜の色合いが移りゆくばかり。
 そんな中、銀髪青年の長身もまた夕闇に染められていた。色素の薄い髪、頬、双眸……全てが黄昏に色づいて。
 吹き抜ける潮風。
 浜辺は刻々と薄暗さを増していく。こんなに近くにいるのに、紗のような淡い闇に紛れてセレシアスの表情は判然としない、黄昏──誰そ彼──時。
 不意にセレシアスの指先が震えた。アリアは小さく息を飲む。
「あの時、俺は何もできなかった……本当に何も……」
 寄せては返す波の足音に、囁き声が重なる。
「幾らだって方法はあったのに……」
 瞳が不安定に揺らぐ。
 そこに滲むのは悔悟。内に抱えた氷塊は誰にも溶かし得ず、全てが過去のこととなり果てた今でも、セレシアスを深く苛んでいるのだった。
 この世界は、あの眼には一体どんなふうに映っているのだろうか。ふと、アリアはそんなことを思った。
「──もし戻れるなら俺は!」
 セレシアスはわずかに震える手を握りしめ、遥か彼方、水平線へと視線を転じた。
 落日の余韻がまだほんのりと残っている空の端。流れゆく雲。
「……俺は……」
 ふつりと、独白はそこで途切れた。


 藍色の波が何往復した頃だろうか。アリアはようやく声を絞り出した。
「そんなに自分を責めないで……もう、どうしようもなかったんだよ……」
 生まれたそばから泡となり、虚しく消えていく言葉の群れ。
「セレス君は精一杯やったよ。そんなふうに言わないで」
 空虚さを埋めようとすればするほど、虚しさが無音で降り積もる。
 どうして“想い”というものは、言葉にしたその瞬間から、胸の中に在ったものと微妙に食い違ってきてしまうのだろう。
 もどかしい。こんな気休めみたいな、安っぽい慰めを言いたいわけではないのに。
「セレス君………」
 ついには名前を呼ぶことしかできなくなる。そんなアリアを見つめて、セレシアスは静かに首を振った。
「いや……今更こんなことを言っても仕方がないのは分かってる」
 でも、ただひたすら、自分を赦せないだけ。
「そんな……だって!あんなに早起きして、下調べまでして──」
「それでも駄目だった。結局俺は何もできなかったんだ」
「たまたま運がなかっただけだよ。きっと今度は大丈夫。ね?」
「…………」
 二人の間を、ひやりとした風が通り過ぎた。刻一刻と夜の気配が押し寄せてくる。潮騒。短い沈黙。
「落ち込む必要なんかないってば〜。きっと次は買えるよ、ニイミ屋の包み焼き」
 早朝から開店待ちをしたというのに有名菓子を買いそびれてしまったセレシアス。
 彼を元気づけるつもりだったのに、アリアの言葉は逆効果だった。喋れば喋るほど、ずぶずぶとドツボにはまっていくばかり。
「ああ……限定販売の林檎は無理でも、せめて餡は買っておきたかった……」
「明日はあたしも一緒に並ぶから。ねっ?」
「アレを食べずして甘味好きは名乗れない! 頼むアリア、おばさま方の勢いに負けて一歩も動けなかった不甲斐ない俺に、どうか加勢してくれ!」
「任せて! 甘いもののためだったら、気力を雑巾絞りして早起きするから!」
「……よし、勝負は明日だ!」
 翌日の勝利を誓って、二人は互いに力強く頷き合ったのだった。


END