2周年記念

「来年もまたこうしていられたらいいな」



凪世きの様リクエスト
ハルイ+在りし日の想い出


 柔らかな春の日。
 花月の名にふさわしく、辺り一面に咲き誇る桜。渡りゆく風は優しく、空はどこまでも澄んでいる。

「かわいい〜!」
 桜を見上げるなり素っ頓狂な声を上げたのは、もちろんハルイではない。今日四歳の誕生日を迎えたばかりの妹──ミレイ。
 その場で跳んだりぐるぐる回ったりして、せいいっぱい感動を表現している。
「こういうのは、“かわいい”っていうより、“きれい”っていうんだよ、ミレイ」
 常日頃から近所の大人たちが『ミレイちゃんはかわいいね、いい子だね』なんて猫っかわいがりしているせいだろうか、ミレイは好ましいものを一律に“かわいい”と言う。それが妹にとって最上級の褒め言葉なのだ。
「だってかわいいんだもん。ね、ほら」
 ふわりと舞い散る花びらを追いかけて、手を伸ばして。ミレイは無邪気に笑っている。
 誕生日を迎えたことよりも、この季節にしか見ることのできない桜の方に気を取られ、ミレイは至極ご機嫌だった。ハルイにとっても春色の花びらは魅力的で、子犬のようにまとわりついてくる妹と一緒になって、風に舞い上がる花に夢中になった。
「じゃあお昼にしようか、シィナ」
「そうね。ほらミレイ、おいでなさい。ハルイも」
 昼時が近くなると、両親は仲良く並んで敷物を広げ、持参してきたお弁当の大きな包みを開いた。中に詰まっているのは母特製の野外用昼食。見た瞬間、思わず笑顔になってしまうような豪華さだ。
 ハルイが行儀良く食前の祈りの仕草をすると、ミレイもそれに倣う。
「たくさんあるからね、ゆっくり食べなさい」
 という母の言葉通り、ゆっくり、かつ、たくさん食べたハルイは、満腹感を抱えて「もう入んない!」とひっくり返った。
「お兄ちゃん、遊んでぇ」
 ミレイは相手の様子になど頓着せず、無邪気にじゃれついてくる。その手が暖かくて、小さな掌が愛しくて……ハルイはいつも妹には無条件降伏だ。
『弟や妹なんて鬱陶しいだけだよ。父さんも母さんもアイツらばっかり構ってさ』
 そういえば、近所の友達はそんなことを言ってたっけ。
 確かに両親は妹にかかりきりの時が少なくないし、全然寂しくないと言えば嘘になる。でも、それ以上に、妹が好きだから。両親がミレイを大切に思っているのと同じくらい、自分もミレイが大事だから。
 ハルイは妹の手を握り、桜道をゆっくりと歩き始めた。


「……お兄ちゃん」
「ん?」
 樹にもたれて桜の小雨を楽しんでいると、不意にミレイの声色が変わった。
「この樹ね、さみしいって言ってるよ」
 ふくふくの頬を大樹の幹に押し当て、呟く。
 幼い横顔。とても厳かな……まるで神託を待つ巫女のように静謐な声。
「今まで毎日来てた犬の親子が、昨日から来ないんだって。だからさみしいって」
 犬。普段のミレイは犬のことを『わんわん』と言うのに。ハルイは黙って妹を見つめた。
 時折ミレイはこういうことを口にするのだ。動物や植物に触れて、
『ウサギさん、うれしいって言ってる』
『この子がね、もっと遊ぼうって』
 幼子ゆえ、感受性が一際鋭いのだろう。最初はそう思っていた両親も、ミレイの“通訳”があまりに頻繁で的を射ているものだから、薄々は気づき始めている。ひょっとしてミレイは──
 近頃ではミレイがこの類の言葉を発すると、父も母も困った顔をするようになった。
 ハルイには詳しいことは分からないが、ミレイがちょっと不思議な子であることは、どうやら隠しておいた方がいいらしい。
だから、そっと妹の唇に人差し指を添えた。
「桜さんが、さみしいって言ってるんだね。でもね、ミレイ。それは内緒だよ」
 理由は知らない。でもミレイのような不思議な力がある者は、都に連れていかれるのが決まりらしかった。
「うん、分かった。ないしょだね」
 ハルイは妹の頭をくしゃくしゃに撫でた。
 ──ミレイと離れ離れになるなんて、想像しただけで胸が苦しくなる。絶対に嫌だ。ミレイは、たった一人の妹なんだから。
「もう行こうか。ほら、母さんたちが呼んでる」
「はぁい」
 ふと空を仰ぎ見た。その吸い込まれそうな青さが眩しくて、快い。
「来年も、またこうしていられたらいいな」
「うんっ!」
 兄妹は再び手を繋いで歩き出す。

 一日中笑っていた。
 柔らかに咲く桜、木漏れ日の下、親子四人での楽しい一時。
 それが最後の、春の想い出。


END