ファンタジースキーさんに100のお題

005. 交易都市


 小道の角を曲がったら、何かに正面からぶつかった。

「てっ!」

 小走りだった勢いもあり、幼い少年は派手にひっくり返ってしまう。

「いッてー」
「す、すまない。よそ見をしていたもので……大丈夫か?」
「気ィつけろよなー」

 どうやら運悪く、出会い頭に誰かと鉢合わせしてしまったらしい。尻餅をついたまま、自分が衝突した相手を見上げると──
 メイズ少年のしかめっ面が、ぽかんとした表情に塗り変わっていく。
 そこには、見たことのない容貌の人間がいた。


 運河の街ハーラル。
 多種多様な積荷を載せた船が、ひっきりなしに行き来する水郷。整然たる水路の敷かれた、貿易の要衝。ハーラルとはそんなところである。
 メイズの現在地は、賑わいに満ちた繁華街からやや外れた、裏路地の一角。少々奥まっており、寂れたような雰囲気があるのだが、生まれた時から住んでいるメイズにとって、この街は庭のようなもの。どの抜け道がどこへ通じているか、手に取るように分かるほどだ。
 メイズは今年基礎学校に入ったばかりの、好奇心旺盛な年頃である。ばったり会った知人との談話に夢中になり、店先で際限なしに話し込む母親を、じっと待っていることなどどうしてできようか。
 そんなわけで、メイズは好き勝手に歩き回っている最中だった。

 差し伸べられた手。その手を掴もうとした格好のまま、メイズは凍りついた。
 一瞬自分の目を疑い、相手の顔──耳朶を凝視する。
 そう、その人物の耳は、普通の人間ならあり得ない形をしていたのである。
 長くて、尖った耳。メイズ少年は、社会科の教科書で見たとある挿絵を連想した。担任のミーア先生の声が脳裏に甦る。「彼らは、私たちより、細くて尖った耳をしています──」
 細長い耳朶を持つ、新しい種族。
 メイズは今度こそ素っ頓狂な大声を上げていた。

「ちょーせいしゅぅー!?」

 相手は怯み、手を引っ込めてしまう。だがメイズはお構いなしだった。しばし無意味に口を開閉させた後、

「うっわー、本物ォ? 初めて見たよ。ミーア先生が言ってた通り、耳尖ってるんだなー」

 興奮してくるのが自分でも分かった。
 何せ『長生種』、樹海の民である。北の樹海や南の僻地を除けば、彼らを間近に見る機会はあまりない。物珍しさが先立って、つい相手をじろじろ眺めてしまうメイズだった。
 その長生種は、背の高い男である。まだ若い。
 髪の毛は艶やかな銀髪。夜空の銀月から紡いだような優しい色だ。瞳は……よく分からないが、ぼんやりした薄い色。どちらも、プレアデス大公国では滅多に見かけない取り合わせである。

(すごい、本物の長生種だ!)

 メイズは確信を持った。挿絵より、少しばかり耳が短いような気もするが、それはきっと、メイズが同学年の子より少々小柄なことと同じだろう。個人差、というやつだ。
 したり顔で頷くと、メイズは長生種の青年を見上げた。何の偶然かは知らないが、せっかく会えたのだから、もっと話が聞きたい。

「ねえねえ。長生種ってさ、レイジュツ、使えるんだろー? ちょっと見せてよ」

 霊術。彼らはとても不思議な技が使えるのだと、ミーア先生は言っていた。ぜひとも一度、それをこの目で見てみたい。メイズはさらに頼み込んだ。

「明日学校行ったら、皆に話してやるんだからさー」

 と、そこへ背後から小走りに近寄ってくる足音があった。振り返って確認するまでもない。あの足取り。慌てて駆け寄って来た母親である。

「メイズ? メイズ、駄目でしょ勝手に行っちゃ! すみません、ご迷惑をおかけしまして……」

 母は、青年に向かって急いで詫びる。メイズを睨みつけるのも忘れない。

「えーっ、レイジュツ見たいー! 母さん、長生種だよちょーせいしゅーぅ!」

 メイズが抗議の声を上げると、なぜか母親はぎょっとしたようだった。
 メイズと、青年と。どうして母は、二人を交互に見つめて絶句しているのだろう。訳が分からないまま、数瞬間の沈黙が過ぎる。
 怪訝に思ってメイズが傍らを見上げると、母親は硬直したまま青年を見据えていた。これほど色を失った母の顔は、見たことがない。

「しっ、失礼します!」

 母はやっとのことで声を絞り出す。──と思った次の瞬間には、メイズを小脇に抱えて走り出していた。

「えぇ? レイジツー」

 抗議も虚しく、母は猛烈に走る、走る。銀髪青年の姿は、あっという間に見えなくなってしまった。


 がっくりうなだれるメイズ。

「ああー……。なんで逃げるんだよう!?」
「なんでー、じゃないでしょう! あれは……あの人は長生種じゃないの。混血なの。だから」
「どっちでもいいじゃん、霊術、見たかったのにー」
「馬鹿言うんじゃありません! 一人でふらふら出歩いちゃ駄目って、何度言ったら分かるの? だいたいアンタって子はいつも──」

 小言が余計に長引きそうだったので、メイズは反論を諦めた。大人しく手を引かれながら、先ほどの銀髪の青年を思い浮かべる。

 穏和そうな目をした長生種の若者。霊術が見られなかったのは残念だが、長生種と会っただけでもすごいことだ。
 ここハーラルは、物と人とが行き交う交易の街。たまにはこういう面白いこともあるんだろう、とメイズ少年は思った。


 END