ファンタジースキーさんに100のお題

029. 外つ国の遺産 (2)

「あの子はまだ三つにも満たないだろう。それほど幼い時分から兆候を示した者など、聞いたことがない。近年まれに見る強い素養の持ち主と言えるアンジェラ、そなたでさえ、初めて法願(ほうがん)使いの兆しが表れたのは七歳のときだった」
「覚えているわ。母上も父上も、今にも泣き出しそうなお顔をしていました。こんなに早くからこれほどの『力』を扱えるなんて、と、ひどく嘆かれて」

 法願使いの血筋であるティルム氏族の内では、暗黙の摂理があった。
 幼いうちから『力』を振るう者、強大な『力』の片鱗を示す者は、そのぶん早く寿命が尽きるのである。地上で生きる人の身には余るような、大きすぎる力を抱えてしまった反動かもしれなかった。
 そしてその稀有なる能力は、血によって脈々と受け継がれる。『力』を発現させる者の大多数が女性であった。

 そもそも法願とは、その名のとおり、術者の願いに(のっと)って発動する霊妙な方術である。傷を癒し、風雨を招き、術者の力量に相応して森羅万象に作用する。熟練すればでたらめなほどに応用がきくので、「地上の常識から切り離された異能力だ」と畏怖する声も少なくはなかった。

 実際、他ならぬティルム氏族が最も切実にそれを感じ取っていた。
 望んでもいない規格外の能力を抱え、我が子にも同じ運命を継がせて、挙句の果てに待っているのは平均よりも明らかに早い死。短命のさだめである。同じ天人種族だというのに、どうして自分たちの家系はこれほど異質なしがらみを背負わねばならないのか。
 そう生まれついてしまった悲運、理不尽を受け入れるために、法願使いたちは誰もが葛藤にあえぎながら日々を過ごさねばならなかった。

「嘆かれるのは無理もないだろう。長男は異質の能力に負けて生まれたときから隻眼、次男は死産。そして長女がわずか七歳で兆候を示したとあってはな」

 当代の長ハールートは、右目を覆った眼帯に触れながら呟いた。声が陰鬱な湿りを帯びる。彼は数少ない男性の法願使いだった。出生の際に片目を損ない、さらに双生児だった弟をも失っている。

「ルシフェルのほうはどうだ。兆しはないな?」
「今のところは」

 天人王夫妻の長子、嫡男ルシフェルは八歳を迎えている。能力の有無はもう数年ほど様子を見なければ明断できないが、十五歳に達すれば世継公として立太子するという自覚を充分に持ち、日々健やかに勉学に励んでいた。

「そうか、ならば良いのだが」
「今後も当分のあいだは気を配っておきます。本宮の侍従たちはよく承知しているから、もしも異変があれば必ずわたくしに報せが来るわ」

 ハールートはうなずいた。初めてお茶に口をつけ、表情を改め、やっとのことで体外に押し出された言葉は、厳粛なほどに重々しかった。

「ルシファーに、修練が必要だな」
「ええ。明日からでも」

 羽ばたきさえおぼつかないような子どもが『術』を使った。これは大変な出来事である。
 一刻も早く体系的な知識を叩き込み、それに基づいた実践訓練を積ませなければ、さして遠くないうちに己が内包する力を暴走させるだろう。ティルム氏族の歴史を紐解いてみても、規模の大小はあれど、修練不足による暴発事故はいつの時代も決して皆無ではないのだから。

 見たくないときには目を閉じて、聞きたくないときには耳をふさぐように、自分の力を制御し、必要に応じて自在に振るえるようにならなければ、生まれ持った特殊能力に振り回されながら生涯を過ごすことになる。世代交代を経て血が薄まってもなお、その力は下界人の身にとっては重荷にも等しいのだ。

 だから法願使いの力を受け継いだ者は、兆しが表れるとすぐさま稽古を始めるのが当然だった。母親や祖母といった身内が師となり、己の力を律するすべを重点的に教え込むのである。
 能力自体は生まれながらに備えていても、それを使いこなす力は一朝一夕に身につくものではない。ましてや、術の基点となるのが術者の願い、すなわち『特定の方向へと向かう意思』であることから、精神面の鍛錬も含めた厳しい修行が長期にわたって続けられるのだった。

 そういった事情から、天人貴族の中におけるティルム氏族の地位は、伝統的にさして高くない。
 由緒ある家系には違いないのだが、幼い者は修練に明け暮れて年配者たちはその指導で手一杯という有様なので、他の身分ある氏族が最優先している世俗的な物事──夜会で自分の娘を売り込むとか、政治にまつわる情報を複数の筋から集めて利用するとか──までは、とても手が回らないのである。

 ようやっと中流階級に連なっている程度だったティルム氏族が一躍勢威を得たのは、アンジェラの王家入りがきっかけだった。
 その婚姻が国家に憂いをもたらすのでは、と血族の者が人知れず胸を痛める一方で、今や王妃の生家となったティルム家は暁光がさしたように栄華を享け、氏族の持つ異能力の起源にちなんで『天女の末裔』と美称されるにまで至っている。皮肉なことだった。

「どうせならルシフェルも一緒に学ばせたらどうだ。歴史や系譜の知識ならば教えても無駄にはならないだろう」
「そうね。どっちにしても学習計画の中に組み込まれているはずだし、そのほうがルシファーも嬉しがるわ。あの子に自分の中に特異な力があるという自覚が生まれるまでは、きっとルシフェルの助けが必要になるでしょうしね」
「氏族の皆にも事情を説明して、交代で教師役を務めよう。そうだな……いま手が空いているのはセエレ叔母か、ヴィネあたりか」
「よろしくお願いします。王にはわたくしからお話しておきますが、近いうちに改めて三人で相談をいたしましょう」

 今後はいっそう綿密に連絡を取り合うことを約束し、兄妹は露台を後にした。


 もたらされた、その力。
 幾世代も連綿と受け継がれる霊妙なる力は、天上から舞い降りた雲上人たちの遺産だ。
 無邪気に笑う幼い愛娘を思うと、王妃の胸は締めつけられるように痛むばかりだった。


 いつの間にか空全体に不穏な雲が広がっていた。
 ぽつり、と雨粒が弾ける。気の早い時雨だ。湿り気を帯びた風が吹き抜けて、遠くの木々を一斉にざわめかせる。
 露台に残された上品な碗の中。冷めてしまったお茶に、音もなく小さな波紋が広がった。


 END