032. 指輪 (2)
ややあって、山間の澄んだ空気をひどく騒々しい大音声が揺るがした。
「おいコラなにする気だっ!? ちょっ、離せ清白!」
「こんなときのためにここまでついて来てくれたんだな。あんたの心意気に感謝するよ! イヤイヤ、なあに心配するなって。ちょっと術の作用を調べるだけだからな。大丈夫ダイジョーブ」
「棒読み! 心にもないコトしれっと言いやがってぇぇ!!」
「この指飾りに施された術、おぬしも知りたいじゃろ? 身につけたら即座に棲み処へ戻りたくなる術やもしれぬな。あるいは一昼夜の記憶が綺麗さっぱり失せる術やも」
「やめろ! 妙な妖術だったらどーすんだよっ!?」
「そこはひとつ、年の功で見事切り抜けてくれることを期待しよう」
「あああ人でなしィー!!」
*
一方その頃。浄域の中心地、小高い丘に鎮座する殿舎の最上階にて。
葛葉らを導いた刑部姫は、細かな宝物類の納められた金蒔絵の大箱に幾度も視線を走らせて、最後に念のため周囲をぐるりと見渡した。さくらんぼのような唇から小さく声が漏れる。
「やはり、件の指飾りが見当たりませんね」
天狐族の老賢者たる刑部姫が、手ずから入念にまじないを仕込んだ品である。路銀代わりに持たせた財宝とは別に、身につける実用品として葛葉へ贈るつもりだったのだが、どうやら他の宝物類と一緒に渡してしまったようだ。
結界の展開で妖力を使い果たした直後だった上に、葛葉たちの出立もひどく慌しかったので、取り紛れてしまったのだろう。
「あれの効能、葛葉殿は察してくれたでしょうか……」
自ら重き使命を背負いて旅立った姫御前と、その道連れを買って出たらしき人間の青年。今頃はすでに山を越えて火明の里に近づいているに違いない。
解き放たれた怨霊、荒ぶる祟り神は、無数の命を食らいながら北東の方角へと進んでいる。
「指飾りの使い方に気がついてくれると良いのですが」
幼い姿をした老賢者は一人、若人らの先行きにひっそりと思いを馳せた。
毒気を吸収して持ち主の周りを清めるという指飾りの効果に葛葉たちが気づくのは、もうしばし後のことである。
END