異端者たちの夜想曲

2:“夜刀”


 “夜刀(やと)”。
 それは、裏社会の巨悪を断罪する、闇の死刑執行人。

「命運は尽きた。咎人に明日はない」

 首魁ヒイラギの命令を合図に、闇夜に紛れて死刑は執行される。
 処刑人は躊躇わない。
 エーデルワイス。エリカ。アニス。花の名をコードネームに持つ彼女らは、表の世界では決して手出しのできない『罪人』を極秘に斬ることが仕事である。
 あえて血塗られた道を選び、刃でもって禍根を排除する。それが彼女ら“夜刀”だった。

「“夜刀”……任務開始」

 自ら囁いたその言葉を合図に、少女は瞬時に処刑者へと成り変る。そうして幾度、返り血を浴びたのだろうか。
 少女──エーデルワイスは、並ぶ者のない暗殺者であった。ありとあらゆる闇技術を体得した、鋼鉄の暗殺者。その腕前は、日本の地下で暗躍する死神と噂されるほどだ。
 彼女は、ヒイラギ率いる地下組織≪桜花≫の重鎮でもある。
 長い黒髪に群青色の双眸を持った、清冽な……しかしひどく哀しげな娘。
 ヒイラギに付き従い死刑を執行する彼女を、人は猟犬と揶揄する。
 狂った猟犬、と。


 *


「お疲れ様、皆」

 仕事を終えて隠れ家へ戻って来た少女らを、女性の声が出迎えた。
 歳の頃なら二十代半ば。結い上げた髪に、はっきりした印象の目元。こんな時間だというのにきちんと化粧の施されたその顔は、闊達そうに微笑んでいる。
 彼女の名はサルビア。“夜刀”にヒイラギの命令を伝えることが、彼女の役割のひとつである。

「今回もうまくいったようね」

 全員ソファに座らせ、淹れたての紅茶を配る。
 本来なら、任務完了後にサルビアが隠れ家へ来る必要などないのだが、これが彼女なりのねぎらいなのだ。

「うまくいったさ。俺たちがしくじったコトなんかないだろ?」

 カップを受け取りながら、長身痩躯の青年が軽口を叩いた。
 彼は桐生悠二(きりゅうゆうじ)。年齢は二十一歳。別称エリカ。美男子と評しても文句は出ないであろう顔立ちの、優男である。ただしその両目は、深夜だというのにサングラスに覆われたままだった。
 悠二は紅茶を一口啜って、微笑む。

「相変わらず美味いね。アッサム?」
「ええ。友達に個人輸入をやってる人がいてね。イギリスから直で仕入れてくれたのよ」

 心地よい湯気をたてるカップ片手に、サルビアは朗らかに答える。
 整えられているとはいえ、ここは地下室である。サルビアだけならまだしも、黒装束に身を固めた人間が三人もいると重苦しい雰囲気になりそうなものだが、彼女がうまい具合に場の空気を和らげていた。

「ふーん。オレにゃあちっとも味の違いが分かんねーんだけどな」

 心の底から不思議そうに首を傾げたのは、林原将(はやしばらしょう)。別称アニス、二十歳。短い黒髪と引き締まった身体つきは、彼の精悍な印象を際立たせている。
 悠二と将は、放っておくとすぐに軽い言い合いになってしまう。

「ショウは味覚も大雑把だからなぁ」

 と悠二が茶化すので、将はわざと大げさに肘鉄を入れた。

「味覚も、って何だよ。分かんねーモンはしょうがねーだろー? なあサルビア、アンタも何とか言ってやってくれよ」

 だがサルビアは苦笑するばかりで、取り合おうとはしない。ほらな、とばかりに悠二は肩を竦めて見せた。
 将はなおもぶつぶつ言っていたが、部屋の最奥に腰掛けた少女と目が合うと、憑き物が落ちたかのように大人しくソファに座り直した。
 一人用ソファにもたれたその少女は、終始黙したままだった。日本人離れした群青色の瞳も、ただ物憂げに虚空を彷徨っている。テンション高く振舞う青年たちの中で、彼女は一人、異彩を放っていた。
 少女の本名は月城雪(つきしろゆき)。結い上げた長髪と白い肌に、漆黒の衣装がぴたりと似合っている。耳元で遠慮がちにきらめく銀色のピアスが、身につけられた唯一の装飾品。
 華奢な身体つきだし、チーム最年少だが、彼女──エーデルワイスこそ、悠二と将を率いて任務をこなす暗殺班、通称“夜刀”のリーダーであった。

 ヒイラギの懐刀。≪桜花≫の至宝。鋼鉄の暗殺者。
 どれも、若干十六歳の雪を指し示した呼び名である。
 任務中の能面のような無表情ではないにせよ、彼女は普段から深い憂いの中にいることが多い。特に任務完了直後、その肌はますます白さを増してぞっとするほどだった。
 見兼ねたサルビアがいくら勧めても、相変わらず雪は紅茶に手をつけようとはしない。無理に飲食しても、身体が一切を受けつけないらしかった。ミッション前後、彼女は何も口にすることができないのである。

 また、人を殺した。その思いが雪の胸中を占めているのは傍目にも明らかだった。
 悠二たちの場合は、罪悪感や恐怖をごまかすためにわざと陽気に振舞う。
 だが雪は違う。彼女はごまかさない。良心の呵責、戦慄、自己嫌悪……後から後から沸きあがってくる人として当たり前の感情を、彼女は全てひっくるめて抑え込むことができる。抑え、濾過することができる。
 そうして雪はこの一年半、咎人を狩り続けてきたのだから。