異端者たちの夜想曲

2:林原将 (4)


衝撃は、突然にやってきた。

ルソンの失踪。

 ……ほらな?
 言わんこっちゃない。誰だって自分が一番可愛いんだ。
 都合のいい時だけ手を差し伸べてきて、ヤバくなったら放り出す。
 当然。そう、当然だ。この世界じゃ、それがアタリマエ。オレがルソンでも、きっとそうするに違いないから。
 だから、オレはアンタを憎んじゃいない。
 オレが心底怨めしいと思うのは──世界、そのもの。それだけだ。

 おそらくルソンは、仕事に失敗したのだろう。
 マフィア連中の機嫌を損ねたのかもしれないし、迂闊にも地下組織のしっぽを踏んづけたのかもしれない。とにかく確かなのは、ルソンはもうこの街で稼げない、ということだけだった。
 二人で住んでいたアパートには変な奴らが押しかけて来るし、終いにはあらぬ疑いまでかけられたので、将は辟易して数日のうちにそこを出た。
 時は十二月。冬の寒空は否応なしに実家を飛び出した時を思い出させたが、あの頃とは違う。この二年で将は様々なことを学んだ。
 そう、ルソンには感謝すべきなのだろう。彼は身をもって『独りで生きてゆくすべ』を教えてくれた。
 こうして将は十六歳の身空で、住所不定・無職のいわゆるホームレスとなったのである。


 *


 他の時期ならいざ知らず、寒い季節に住所不定なのは厳しい。
 かといって、未成年で保証人もなしでは真っ当なアパートに住めるはずもない。
 だが不幸中の幸い、バイト代が手付かずで手元に残っていたので、将はしばらく住み処探しに専念することができた。
 都会ならではの、吹き溜まりのような場所には、それらしい人々がグループで寝起きしている。何はともあれ先人に倣えということで、将はまず彼らの生活を観察した。
 そこで初めて気づいたのだが、ホームレスの人々は決して好き勝手に暮らしているわけではないらしい。集落もどきを形成し、彼らなりのルールに則って日々を過ごしているようだった。
 となると、そこへいきなり飛び込んで行くのは無謀にすぎるというものだ。結論を得た将は、さしあたってパイプをかけることに決めた。

「あのう、すみません。その、実はオレ、行くとこがないんです。それで……もしこの辺りで空いてる場所とかあったら、教えていただきたいんですけど……」

 そう言って将が話しかけたのは、中肉中背の白髪男。五十歳くらいだろうか。食べ物を探しに出る途中に引きとめられて、男は不審げに将を見やった。

「お前さん、家出かい?」
「行くところがないんです」

 とっさに作った照れ笑いのような表情は、男にどんな印象を与えただろうか。
 男はしばらく黙考した後、踵を返して手招きしてくれた。
 『笑顔は商売道具』。ルソンの言葉は、全くもって本当だった。

「俺はな、フクってんだ。お前さんは?」

ダンボールを調達し、頑丈に組み立てる方法を習っている最中、男が不意に訊いた。

「将、です」

 姓は名乗らなかった。あの連中を思い出させる名字なんて、捨ててしまいたいくらいだ。
「ショウ、か。どんな字だ?」
「将軍のショウ」
「将来のショウ?」

 頷くと、フクは重々しく頷き返してきた。いい名前だな、と言ってくれたが、もちろん将はこれっぽっちも嬉しくなかった。
 名前など、誰かが勝手につけたものだ。犬猫じゃあるまいし、自分という存在を表す重要なものを、本人の承諾もなしに他者に決められてしまうとは、忌々しくて鳥肌が立つ。
 そんな将の思いを感じ取ったのか、フクはそれきり話題を切り換え、もっぱら作業に没頭した。
 フクは自分の隣にスペースを空け、将のための寝床を拵え、中に毛布まで敷いてくれた。彼の助けがなければ、こうスムーズにはいかなかっただろう。将は率直に礼を述べた。

「いいってことよ。それよかな、ここのルールはたった二つだ」

 フクは朗らかに言う。

「困った時はお互い様、他人の過去は詮索無用、ってな」

 その一帯には十数人のホームレスが寝起きしていたが、フクの言う通り、将が居ついて数週間が経過しても、立ち入ったことを訊いてくる者は皆無だった。

 それから将は、食料確保の手段や、ただ同然で入れる浴場の場所など、様々なことをフクから教わった。
 年季の入ったホームレスが痩せっぽちの家なし少年を気の毒に思ったかどうかは知らないが、とにかくフクはよく面倒を見てくれた。フクのおかげで、将の生活はまずまずの状態を保っていた。
 フクも、他の住人も、干渉しすぎることなく適度な距離を保って接してくれる。
 朝起きて、挨拶をする。昼間顔を合わせたら、ベンチに腰掛けて世間話をする。食料を余分に手に入れたら、少しおすそ分けする。その程度の付き合いだが、傷だらけの将の心にはこの素っ気無さが逆に心地よかった。

(でも、油断しちゃいけない。馴れ合いは……後で自分が傷つくだけだから)

 厳重に固めた防護膜。胸中に張り巡らせた武装を笑顔で装飾し、他人にそれを悟らせない。
 将はもはや決して心の重装備を解こうとはしなかった。

 楽しくない代わりに、辛くもない隠遁生活が続いた。そんなある日。
 夕暮れの気配が西空の彼方へ消え去っても、フクがねぐらに帰ってこなかった。
 隣のダンボールはもぬけのカラ。いつもなら日が暮れる頃には戻るので、将は少しばかり気にかかった。同じ一帯に住む男にフクの所在を訊いてみる。

「さあ……? メシ探しに行ったんだろ。そのうち帰ってくるんじゃないのか」

 男はそう言った後、思い出したように振り返り、

「近頃、俺らみたいなのを狙った暴力事件、多いらしいからな。お前さん、探しに行ってやったらどうだ?」

 と言い残して寝場所へと戻って行った。
 将がフクの紹介で広場の一員になったのは周知の事実だし、隣同士でもあるので、男の台詞に他意はない。だが将は、素直にフクを探しに行く気にはなれなかった。

(なんでオレが。第一ガキじゃあるまいし、帰りが遅いくらいで迎えに行く必要なんかないだろ?)

 そんな捻くれた思いが、どうしても先立ってしまうのである。
 もやもやを胸中に抱えたまま、一時間、二時間が過ぎ、ついに三時間が経過したところで、ようやく将は腰を上げた。

(仕方ない。最近物騒だって言うしな)

 他者との間に一線を引きたがる頑なな傾向は、すでに心身に定着してしまっている。将は自分で自分に言い訳をしながら、フクの縄張りを順番に探索し始めた。