3:月城雪 (2)
「まるで活動期に入った火山ね。重石が外れたみたいに一気に噴き上がっているわ」
サルビアは淡々と告げるが、その表情にはいつもの闊達さがない。
「何か、彼らを後押しするようなきっかけがあったのか……詳しい原因はまだ調査中」
だがそれは確実に、まるで呼応するかのように、首都圏を中心とした日本の裏社会にさざなみを立てている。
現象としては、悪質な不法行為の表面化が主立っており、あまりに目に余るその氾濫ぶりに業を煮やしたヒイラギは、原因究明に力を入れる一方、さしあたって“夜刀”の稼動率を上げることを決断した、というのが、サルビアの解説だった。
「これ以上はまだ何も言えないわ」
長い睫毛に縁取られた目を伏せるサルビア。
悠二たちはそれ以上詮索する権利を持たず、沈黙して彼女を見つめるしかなかった。なぜなら彼ら“夜刀”は、与えられた任務を遂行することのみに特化した実働班だから。上からの命令は受け取るが、上へ向けて働きかけることは一切許されていない。
そもそも悠二らは、自分たちに命令を出しているヒイラギという人物のことすら、具体的なことは何一つとして知らないのだから。
ただ任務を確実に執行する。それが“夜刀”の本領であった。
「依頼内容を説明するわね」
気を取りなおしたサルビアが、大判の茶封筒から十数枚の書類を取り出した。
「樋口武治。三十九歳。職業・輸入業者──」
将はターゲットに関する文書を読み上げ、悠二は顔写真とデジカメで撮影されたものとを見比べる。
任務に際して送られてくる資料等は、調査班“風”が念入りに調べ上げたものだ。彼らにかかれば基本属性はもちろん、趣味や性癖、行動範囲や交遊関係、自宅の見取り図などなど、隅々までスキャンされてしまう。“夜刀”はその情報をもとに、詳細な作戦を立てるのである。
といっても作戦立案は主に雪の仕事なので、悠二と将は気楽にデータを眺めている。
「やってるコトのわりには善人そうなツラしてるよな、コイツ」
とは、デジカメを操作しながらの悠二の言。
「外見はともかく、この人には留意すべき特記事項があって──」
「異能者だ」
サルビアの声に、書類から顔を上げた将の独語が重なった。
「異能者?」
「ええ、そうなの」
サルビアが肯定し、書類を一枚取り上げた。
異能者。生まれつき特殊な能力を備えており、それによって通常なら成し得ぬ事柄を可能ならしめる者である。
異能者とは俗称であり、正式にはCongenital Peculiarity-Holder──先天的特異性保持者、略称CPHという。
前世紀最後の世界大戦終結後、世界各国で徐々にその存在が明るみに出始めた。
異能者はフィクション世界の住人ではない。けれども、圧倒的少数であることと、既存の怪しげな『超能力者』への固定観念が強固であったことなどから、一般人の偏見はひどく強かった。
そうした事情により、本人がその能力を隠そうとする傾向にあったので、異能者の存在は長らく公式には認められていなかった。
だが二十世紀末の一部地域において、特異能力を恐れた人々による『魔女狩り』が続発したのを契機に、国際連合はついに大々的な対策を実行に移した。
その調査報告によると、全世界の異能者総数はおよそ五百万人。特に敗戦国であるドイツ連邦共和国や日本国に集中しており、中でも戦後生まれの若い世代に多く見られるのが大きな特徴だった。
そして統計上、能力の顕現と血統・遺伝との関連は認められていない。まるで何者かが無作為に、人間の中へ特殊能力の種を撒いているようにも思われた。
能力の種類や強弱は千差万別で、現在では確立された一分野として国家を挙げての研究対象となっている。
かくして異能者の存在は公式に認められた。各国政府はその人権を保障し、日常生活に支障がないよう様々な配慮を施すに至る、というわけである。
「そう。今度の標的は異能者よ」
首肯するサルビア。悠二は明らかに驚いて、「マジかよ」と呟く。
隣に腰掛けた雪はいつもの通り無表情で、その白皙の顔から内心を察することは不可能。もっとも悠二らは、彼女が取り乱している様など全く見たことがなかった。いつでも冷静沈着、感情の起伏など一切顔に表さない。彼女なら、たとえ標的が灰色の宇宙人だと告げられても、ああして落ち着き払っているだろう、と二人の青年は半ば確信していた。
──異能者。ことに日本で生活していれば、一生のうちに一度くらいは異能者と接する機会があると言われているのだ。任務のターゲットが異能者でも、驚くことはないのかもしれない。悠二と将は、少女のその静謐な表情を見ているうちに思い直した。
「まずはこれを見てちょうだい」
ローズ・ピンクに彩られた爪先でサルビアが示したのは、びっしりと文字が羅列された書類の一端。そこにはこう記されていた。
“接触テレパス”