異端者たちの夜想曲

1:蠢動 (3)


「シンジ・ミヤノギは野心家だな」

 長い金髪をかきあげて、シュリッツは嘆息まじりに呟いた。
 すでに外交官さながらの営業用スマイルは拭い取られている。涼しげな顔には陰りがさし、声音には微かな嫌悪が浮かんでいた。気疲れのせいだろうか、いつになく投げやりな物言いである。
 シュリッツは高級ドイツ車の後部座席に長身を埋め、不機嫌そうに外を眺めた。

「ま、確かに損得勘定だけは得意そうだが」

 運転席で静かに車を走らせているシュナイツァーは、取引相手への侮蔑を隠そうともせずに取り合った。
 シュナイツァーに言わせれば、真剣なビジネスの話をしている最中にへらへらと愛想笑うような人物は品性下劣であり、言葉を交わすのも忌々しいのである。徹底して公私を分けたがる気質のドイツ人としては、これはごく当たり前の考えだった。

 実際のところ、「笑顔は私的感情の顕れである」と公言し、勤務時間中は生真面目な表情を決して崩さない者が、ドイツのオフィスには大勢いる。シュリッツのように、相手に合わせて変幻自在に対応できる者などごく稀なのだ。
 ことに先程までの密談相手である宮乃木真司は、口から出る言葉は卑屈と評してもいいくらい丁寧で低姿勢だというのに、その目には暗く不遜な光がくっきりと宿っていた。

 手段を選ばず、ひたすら己の栄達のみを求め続ける者によくある眼差しである。裏で油断なく計算を巡らせているのは、まず間違いないだろう。
 利に群がる小物。ゆえに、シュナイツァーは宮乃木に対してそういった印象を抱いた。

「いや……なかなかどうして、したたかな人物みたいだよ。≪SS≫の名前に臆してなかった」

 シュナイツァーが沈黙したので、シュリッツはさらに付け加える。

「『せいぜい利用させてもらう』……内心じゃ、虎視眈々とそう考えてた。さすがはトラオ・サンジョウの後継者候補といったところかな。大したタマじゃないか」

 さらりと述べて、口元に薄笑いを浮かべた。なまじ整った顔立ちのせいで、こういう表情をするとシュリッツはひどく冷酷に見える。

「ふん、そうか。口では保身第一のように言っておきながら、やはりな」
「でも、何の考えもなしにコロッと乗ってくるような奴じゃ、大した役には立たないでしょう。そのくらい小賢しくて丁度良い、と思うけど」

 口を挟んだのは、助手席でだるそうに頬杖をついていた夏木。ココア色の髪を軽く弄いながら、実に素っ気無く意見した。

「そうだな。建前と本音が違うのは日本人の特徴とも言うし」

 宮乃木との対談を終えた三人は、帰りの道すがら、当面の協力者となる若手官僚に関して活発に話し合っていた。
 “白虎”は少数精鋭の尖兵部隊である。そのメンバーが三人きりである以上、いかに有機的に動き、状況を有利に活用できるかが重要になってくる。そのため、仲間内での意見や情報交換は疎かにできないのである。

 コミュニケーション重視──実のところ、“白虎”が全員異能者で構成される一番の理由もそこにあった。『特異な能力を持っている』という共通点があれば団結しやすい、というわけである。
 シュリッツは精神感応、シュナイツァーは未来予知、夏木は念力発火。それぞれ、本来ならば人に備わることのない『力』を背負っている面々であった。

 信号に足止めを食らわされたところで、シュナイツァーが後ろを振り返って訊ねた。

「奴は、どれくらい使えると思う?」
「それなりだろう。野心はあるから、まあ……使い方次第だな」
「そうか。では、事前の計画通りでいいわけだな」
「ああ。日本の地下もだいぶ騒がしくなってきたことだし、根回しは完了だろう」
「では、上にもそう連絡しておこう」

 それきり、車内のドイツ語の応酬は途切れた。
 しかし、後部座席にいるシュリッツの表情は、依然として曇ったままである。

(まったく、やることは地下での陰謀工作ばかり、か)

 前々から興味があった国に滞在しているというのに、一時たりとも裏社会の匂いから逃れることができない。もちろん“白虎”のメンバーという立場上、分かり切っていたことだが。
 これから自分たちがこの島国でしようとしていることを思えば、どうしても物憂げにならざるを得なかった。ましてシュリッツの能力は精神感応。本来なら触れることのできない他者の奥深くに、直接干渉することで本領を発揮する。

 この精神感応系の能力は、裏社会で暗躍する者にとっては実に使い勝手の良い能力だが、ひとつだけ重大な欠点があった。
 不可侵の領域へ強制的に潜り込んでいく精神干渉。その行為は、同時に己の自我を危うくするのである。すなわち……自他の境界が曖昧になる危険性を孕んでいるということだ。

(今回の任務は、今まで以上にこの厄介な力を使う羽目になるだろう……気が重いな)

 異能力を駆使する歳には、『シュリッツ・リヒト・フォン・ローゼンクランツ』という自分の存在を常に強く意識していなければならなかった。さもないと深層意識の混乱を招きかねないからだ。
 シュリッツはすでに己が力を知り尽くしており、よく肝に銘じているため、そんな失態は演じていないけれど、危険を常に抱えながらの任務はひどく消耗を強いられる。

(人の心を読み、利用し、時には操る。そうして俺は、何ひとつ物証を残さず、事態を意のままに収める……)

 精神に負担がかからないはずがない。
 かくしてシュリッツは気を張り続ける。己というものを保つために。

 頭の中にはまだかすかに、他人の異質な思考が残っている。
 湿った黒い残滓を追い払おうと、シュリッツは窓外の桜並木に目を向けた。