「宝捜しに行こう」
そう言い出したのは、自分とエリッサ、一体どちらだっただろうか。
急勾配の獣道を進みながら、アタラクシアはしきりに思い出そうとして……嘆息した。やめた、意味がない。
大体いつもこうなのだ。どちらかが妙な遊びを思いつき、どちらかが提案者以上に乗り気になる。そうしたら後はもう、夕飯の煮粥が恋しくなるまで夢中になるだけ。
それにしても今回の遊びはなかなか斬新だった。二人だけでキーツ山脈の最上地を目指すなんて、これまでで一、二を争う冒険ではなかろうか。
アタラクシアは立ち止まり、額に落ちかかる髪をかき上げた。
たった今踏みしめたばかりの足下からは、幾重ものひだを持った植物が「さっさとそこをどけ」と言わんばかりに存在を主張している。視線を転じれば、うっすらと青みを帯びた雄大な稜線がどこまでも続いていて。
遙か下方には、自分たちの故郷であり永住の地でもあるリュミレスの樹海。そして初夏の空には、風を従え悠然と渡っていく白い雲の群れ。
「どうしたの、シア?」
足取り軽く先を駆けていたエリッサが、振り返って笑った。乳白色の長い髪が、光を含んで揺れる。
癖のない、溶かした乳製品のように滑らかな髪の幼なじみ。ふわふわ巻き毛のアタラクシアには、それが少しだけ羨ましかった。
「疲れた?」
身軽くアタラクシアの傍まで来たエリッサは、重ねて訊いてくる。まるで返答が最初から分かっているような、悪戯っぽい口調。
「まさか」
笑って答えた。ひ弱な人間種族ではあるまいし、幼女とはいえ長生種──進化型人類であるアタラクシアが、この程度の山道で音を上げるはずがないのだ。
「なんでもない。行こう」
「よし行こう!」
長生種の少女たちは、猫の子のようにふざけ合いながら、大公国有数の秘境たる霊峰キーツを登っていった。
キーツ山脈の銀嶺には、どんな傷病もたちどころに治す幻の花が咲いているという。
麓の樹海で暮らす長生種族の、古くからの言い伝えである。真偽のほどは定かでないものの、万能の花の存在は子守唄や民話にもしばしば登場する。
その内容は、「癒えぬ病の我が子のため、身体ひとつで霊峰を駆け登り、一心不乱に幻花を捜し求めた」というようなものが大半を占めていた。
その花は、月と太陽が出会う瞬間に蕾を綻ばせて、一昼夜もすると枯れてしまう。花が咲いているうちに摘み取れば、重篤な病や怪我でも癒すことができる薬になる、らしい。あくまでも民間伝承である。信憑性は高くない。
けれども、白く美しい万年雪を戴いたキーツ山頂を見上げていると、アタラクシアはこう思うのだ。
あの上になら。この国で最も天に近いあの山頂になら、奇跡のような花が咲いていても不思議ではない、と。だからこうして、エリッサと一緒にその花を探してみる気になったのである。
「ひゃあ、びしょ濡れだね」
「雲が厚い。早く帰った方がいいだろうな」
いくらも時が経たないうちに、呑気な言葉を交わしながら、二人は足早にもと来た道を辿っていた。
というのも、勾配が比較的緩やかになったところで、頭上の空が急速に翳り始めたかと思ったら見る間に雨雲が現れて、結局二人して否応なしに雨粒に撫でられるはめになったからだ。
いかに長生種とはいえ、ここは人類の踏破を拒み続ける孤高の聖山。天候に恵まれないのであれば、大人しく引き下がった方が身のためだと、彼女らは生まれながらに知っていた。
それに、あまり無茶をして、後で大祖母様たちに叱られるのも気が重いことであるし。
「帰ったらおやつの時間かな?」
「その前にお風呂と着替え、それからお小言だろうな」
髪が首筋に張り付いてこそばゆい。アタラクシアがため息をつきかけた瞬間にエリッサと目が合って、どちらからともなくふと笑い声が上がる。
「ツイてなかったね。見たかったのにな、幻の銀花」
「またの機会にするとしよう」
アタラクシアはエリッサを促し、家族の待つ集落へと並んで駆け出した。
残念がる必要はない。その気になればいつだってまた来れる。自分もエリッサも生涯をリュミレスの森で過ごすのだし、自分たちには時間がたくさんあるのだから。
……この時アタラクシアはそう考え、それになんの疑いも抱かなかった。
いつまでも、この大好きな親友と一緒にいられると思っていた。
いつまでも、この穏やかな時間が続くと信じ切っていた。
今は遠く、朧にかすむ、優しい記憶。
イラスト:
晴様
END