夢想百題

032. 指輪 (2)


「この飴のような深い色からして、おそらく琥珀じゃな。北の大地が長い年月をかけて育むという希少なる石ぞ」
 指飾りを中心に頭を寄せ合った三人は、その小さな輪の部分が女性の指に添うよう形作られているのを認めた。
 仮に刑部姫の私物だったとしたら、売り払って路銀にしてしまうのはいかがなものか。少々、否かなり気が咎める。
 つまんだ指飾りを天にかざしてみると、うっすらと陽に透けた。石が美しく複雑な模様を内包しているのが見て取れる。
 こうして見出してしまった以上、無造作に扱うことなどできるはずもなかった。
「その刑部姫とやらがお前さんがたにくれたんだろ? だったら換金したっていいんじゃねーの?」
「まあ、そうかもしれないが……」
 男二人が会話する横で、葛葉はなおも指飾りに視線を注いでいた。ほんのり桜色をした指先が、ごく軽く琥珀の表面に触れる。
「ほんに、さすがに良い品じゃのう」
「あー。女ってやつはまったく光り物が好きだよなー。カラスといい勝負だ」
「……これを嵌めた拳でおぬしを殴ったら、さぞかし効くじゃろうな」
「使い方間違ってやがる!」
 全身で叫ぶ雲取、その顔面めがけて拳が打ち込まれる。前触れなし。葛葉は微笑みながら「おっと手が滑った」などと呟いた。むろん指飾りは一切傷つけぬよう掌中に握り込んだままである。
 文字どおり間一髪で痛打を免れた雲取が、羽をばたつかせて崩れた体勢のまま罵声を上げる。
「手癖の悪い娘っ子めぇぇ!」
「おぬしの絡み癖のほうがよっぽど悪質じゃ」
「こら葛葉、せっかくの品を粗末に扱うな。傷でもついたらどうするんだ。殴るなら置いてから殴れ」
「って、ワシよりも指飾りの心配かっ!?」
「さよう、当然じゃろうが。鬱陶しいことこの上ない押しかけ鴉天狗よりも、琥珀の指飾りのほうが何倍も貴重で大事に決まっておるわ。見や、この艶といい輝きといい──」
 滔々と並べ立てようとしていた葛葉の言葉が、尻すぼみに掻き消えた。何かに気づいたように目をみはり、そして指飾りと同じ色彩の瞳が不意に細められた。訝しげな表情である。
 葛葉の視線を追って、清白と雲取も指飾りを見つめる。
「……どうやらこれは、何らかの術が施されておるようじゃ」
 呟くや否や、たおやかな指先が再び琥珀の表面を滑る。今度は念入りに、慎重に。
 どのような術がかけられているのか、なんの意図があるものなのか。
 委細を読み取ろうと葛葉はしばし集中したが、やがて結局果たせずに顔を上げた。
「ううむ。巧妙に織り込んであるよしに、妾にはよう視えぬ」
「なら、とりあえず人里で売りさばくのはまずい、か」
「つーか、試しに嵌めてみりゃいいだろ。案外簡単に分かるんじゃないのか?」
 あっけらかんと言い放つ雲取。
 沈黙が周囲に満ちる。
 ゆっくりと一点に集う、葛葉と清白の視線。
 含みのある眼差しを一身に集めた鴉天狗は、しまったと言わんばかりの顔で凍りついた。

 ややあって、山間の澄んだ空気をひどく騒々しい大音声が揺るがした。
「おいコラなにする気だっ!? ちょっ、離せ清白!」
「こんなときのためにここまでついて来てくれたんだな。あんたの心意気に感謝するよ! イヤイヤ、なあに心配するなって。ちょっと術の作用を調べるだけだからな。大丈夫ダイジョーブ」
「棒読み! 心にもないコトしれっと言いやがってぇぇ!!」
「この指飾りに施された術、おぬしも知りたいじゃろ? 身につけたら即座に棲み処へ戻りたくなる術やもしれぬな。あるいは一昼夜の記憶が綺麗さっぱり失せる術やも」
「やめろ! 妙な妖術だったらどーすんだよっ!?」
「そこはひとつ、年の功で見事切り抜けてくれることを期待しよう」
「あああ人でなしィー!!」

──… * * * …──

 一方その頃。浄域の中心地、小高い丘に鎮座する殿舎(やしろ)の最上階にて。
 葛葉らを導いた刑部姫(おさかべひめ)は、細かな宝物類の納められた金蒔絵の大箱に幾度も視線を走らせて、最後に念のため周囲をぐるりと見渡した。さくらんぼのような唇から小さく声が漏れる。
「やはり、件の指飾りが見当たりませんね」
 天狐族の老賢者たる刑部姫が、手ずから入念にまじないを仕込んだ品である。路銀代わりに持たせた財宝とは別に、身につける実用品として葛葉へ贈るつもりだったのだが、どうやら他の宝物類と一緒に渡してしまったようだ。
 結界の展開で妖力を使い果たした直後だった上に、葛葉たちの出立もひどく慌しかったので、取り紛れてしまったのだろう。
「あれの効能、葛葉殿は察してくれたでしょうか……」
 自ら重き使命を背負いて旅立った姫御前と、その道連れを買って出たらしき人間の青年。今頃はすでに山を越えて火明の里に近づいているに違いない。
 解き放たれた怨霊、荒ぶる祟り神は、無数の命を食らいながら北東の方角へと進んでいる。
「指飾りの使い方に気がついてくれると良いのですが」
 幼い姿をした老賢者は一人、若人らの先行きにひっそりと思いを馳せた。

 毒気を吸収して持ち主の周りを清めるという指飾りの効果に葛葉たちが気づくのは、もうしばし後のことである。


END