異端者たちの夜想曲
予感 (2)
誰かに呼ばれた気がして、シュナイツァーはゆるりと顔を上げた。
遠ざかる潮騒と月光。哀しげな面影が揺らめきながら消える。
幻の情景に絡め取られていた五感を強引に引き戻し、意識を目の前にある現実風景に向けた。
水中から引き上げられたように明瞭になった視野の中に飛び込んできたのは、光を弾いて輝く金髪だった。無造作に束ねられた朝陽色の髪は青年の背中へと流れ、同色の睫毛に縁取られた碧眼が優雅にこちらを見据えている。
互いによく見知った顔だった。シュリッツ・リヒト・フォン・ローゼンクランツ。シュナイツァーの『同僚』である。
「何か面白いものは観えたか、シュナイツァー?」
「……ああ、観えたとも。ローゼンクランツ」
窓から差し込む光がまぶしい。
まばたきを繰り返しながら、シュナイツァーは目の前に佇む青年を見据えた。若獅子のように悠然たる空気を纏う、生粋のドイツ人。
幻の中で聞いた悲痛な叫び声が、まだ耳の奥に残っている。
あれは確かにローゼンクランツに違いなかった。顔も声もはっきりと識別できたのだから断言できる。
そしてもうひとつ断言すれば、あの月明かりの浜辺で起こった不可解な出来事は、これから訪れる未来の一場面だ。ローゼンクランツが辿るであろう道の、さして遠くない、とある定点。
先程まで傍観していたリアルで精緻な光景を、さあ、どう語ったらいいのだろうか。
『ここではないどこか、今ではないいつか』──未来を観ることが、シュナイツァーの生まれ持った特異な力である。
物心ついたときには、その力はすでに困惑の物種だった。彼自身にとっても、周囲の者にとっても。
ときどき発作のようにして迫真の異空間に陥って、機嫌良く絵を描いていた手がぴたりと動きを止める。幻から現実に立ち返ったあとは、心理状態に波紋が及んで情動のコントロールができない。結果として幼い頃のシュナイツァーは、ひどく気難しく扱いにくい子どもに他ならなかった。
成長と共に自我が確立した今は、夢から醒めたあとまで幻影に引きずられてしまうことはないが、それでも未来視の発動は生理現象に近く、ある程度は抑えられても完全に打ち消すことは不可能だ。しかも周期がまちまちで、一体いつ押し寄せてくるのか全く予測ができなかった。
自在に操ることも、拒むこともできない力など、不治の病のようなものだ。それに慣れて上手く付き合っていくしかない。
二十一世紀に突入した現在、世の中にはシュナイツァーのように特殊な能力を備えた者が多数存在していた。
ローゼンクランツや、窓際で退屈そうに頬杖をついている夏木 有瀬もそうだ。種類は違えど、他人にはない特殊で強力な能力を生まれつき備えているという点が、この部屋にいる三人の共通事項だった。
Congenital Peculiarity-Holder──先天的特異性保持者、略称CPH──いわゆる異能者は、中年層以下の世代に集中しており、出生分布としては日本国、ドイツ連邦共和国、次いでイタリア共和国に多い。
けれども統計上、能力の顕現と遺伝性の関連は認められておらず、その事実がいっそう不可解さを煽っていた。国家単位での研究が各地で進められているとはいえ、CPHとその能力についてはまだまだ分からないことばかりなのである。
こうした情勢の中にあって、当然のように暗黒世界でCPHは重宝され、同時に畏怖の対象でもあった。
シュナイツァーの未来予知。ローゼンクランツの精神感応。夏木の念力発火。三人の能力は、いずれも使いようによっては絶大な威力を発揮し、しかも物証を残さない。
欧州最大の地下組織≪SS≫の尖兵に相応しい人材として抜擢され、“白虎(”というチームメンバーに選定されたのは数年前のことである。
これまでに世界各国あちこちへと飛び、闇の中でいくつもの工作に従事してきた。もうすぐ新たな市場である極東へと赴くことも決まっている。