悠二は左腕を撃たれていた。
が、幸いにも弾がかすっただけだったので、大事には至らなかった。
大変だったのは目の方で、どうも網膜を傷つけてしまったらしい。霞んだ視界は元に戻ることもなく、結局左目は失明した。
義眼を入れはしたものの、もはや視力は永遠に戻らない。視界の左半分が、ぽっかりと消え失せた。
失われた己の一部。だが、悠二が失くしたのはそれだけではなかった。
夏実。
彼女の遺体は司法解剖を経て、小樽の親元へと返された。
渋る医者をねじ伏せ通夜に出席した悠二は、そこであまりのことに涙も出ない様子の中年夫婦の姿を見つけた。突如、残酷すぎる形で愛娘を永遠に失ってしまった夏実の両親。生気が抜け落ちたその顔は、真っ白な能面のように虚ろだった。
ぼんやりと遺影を眺める夏実の両親。彼らに何と言って詫びればいいのだろう。
かけるべき言葉が見つからず、悠二はただ黙って頭を下げた。
地に額をこすりつけながら、悠二は溢れてくる大粒の涙を抑えることができず、獣のような嗚咽を漏らした。
人目を忍ぶようにして執り行われた彼女の葬儀。その日も一晩中、雪が降っていた。
悠二の残された片目には、音もなく舞い散る無数の白雪が、天の流した涙に見えた。
──… * * * …──
夏実の葬儀が済んで、しばらく入院した後、悠二は都内のアパートへと戻った。
事務所として使っていたその部屋は、長野に赴く前と何ら変わっておらず、空気すら夏実の面影を残して漂っているように思われた。
──失ったものは、あまりに大きい。身体の傷はやがて癒えたが、悠二の世界は全く変わってしまった。
夏実を亡くしてからというもの、悠二は何一つやる気になれず、朝から晩まで浴びるように酒を飲んでは現実逃避を繰り返した。
自分のせいで夏実は死んだ。その想いは心身の奥深くまで浸透し、さらに悠二を荒れさせた。
そんな圧倒的な喪失感に抗うすべなどあるはずもなく……破滅的に時間をやり過ごす日々が一年あまりも続いた。
そんなある日。悠二は、ヒイラギという者の存在を知った。拾われたのである。
いや、正確には、ヒイラギの使いだという女がやって来て、自分たちの組織に加わらないかと持ちかけてきたのだ。
悠二は戸惑い、女を邪険に追い払おうとした。放っておいてくれ、アンタらには関係ないだろう。そう言ってうなだれる悠二に、サルビアと名乗る女は言った。
もし夏実さんの仇をとりたいのなら、わたしたち≪桜花≫は、必ず貴方の力になれるはずよ、と。
『仇』。
それを聞いた瞬間、悠二の酔眼に苛烈な光が戻った。
そうだ、アイツら。あの三人。アイツらが夏実を殺した!
胸中に燃え上がった憎悪の炎は、悠二に生きる意志を与えた。
夏実の仇を討ちたい。アイツらに夏実の無念を思い知らせてやりたい……。
復讐という目標は、時に強い力を生む。生きて、戦って、悲願を果たそうとする力を生む。
たとえその願いがどんなに不毛であっても。死者の望まぬ結果を紡ぎ出そうとも。
悠二は誓った。必ず、夏実を殺した奴らをこの手で殺してみせる、と。
“夜刀”として任務をこなす今なお、その悲痛な誓約は悠二の全てを支配し続けている。
(分かってる。復讐なんかしても、夏実はもう、二度と帰ってこない)
しかし、それでも悠二は己の想いを止められない。
あの三人は闇取引の玄人、すなわち地下世界の住人だった。こうしてヒイラギの誘いを受け入れて、“夜刀”として裏社会で活動していれば、いつか連中と再び出くわすこともあるだろう。少なくとも可能性はある。
独力で捜し当てるのは不可能に近いが、≪桜花≫の組織力なら、あるいは……。
連中に関係する情報が入ったら必ず知らせると、サルビアは約束してくれた。今できるのは、命令に従いターゲットを殺めながら、情報を待つことだけ。
(この任務も、全くの無駄ってわけじゃない。いつかアイツらを確実に仕留めるための練習になる)
そうして悠二はこの一年、任務に臨んできたのである。
夏実を亡くしてから、二年と二か月が過ぎていた。
──… * * * …──
いつの間にか短くなっていた煙草を灰皿に押しつけて、悠二は目を閉じた。
(もう少し、待っててくれよな)
時に淡く、時に鮮やかに甦る夏実の末期。
夏実を亡くしてからは、常に彼女の死に顔が悠二の脳裏にたゆたっていた。
もちろん、怒った顔も笑った顔も鮮明に思い起すことができる。こうして静謐な闇の中に身を沈めていれば、彼女にまた逢えるような気すらしてくるのに……なのに脳裏に浮かぶのは、血塗れの死相ばかりだった。