異端者たちの夜想曲
桐生悠二 (3)
「生憎だが、こう見えても秘密は守る主義なんだ」
その三、依頼主の秘密は墓まで持っていく。
探偵の鉄則だ。だが、この場このタイミングで吐く台詞にしては、少しばかり言葉尻が不敵すぎた。案の定、夏実はぴくりと眉をひそめ、男たちは一気に色めき立つ。
「このガキ!」
男たちが口々に喚いた言葉は、聞き慣れないものだった。北京語、だろうか。悠二は己の軽口を後悔しつつ、それでも頭の片隅にメモを取った。
「いつまデそんな口をきいていられるかナ?」
一人だけ冷静だったリーダー格の男が、懐に手を伸ばす。そこから引き抜かれたのは、予想通り、冷たく黒光りする拳銃。
悠二は後退りしながら、ようやく悟った。自分たちは罠にはめられたのだ。盗聴もハッキングも、相手の手の上で泳がされていたにすぎなかった。
つまり、この後に待っているのは……
かつて暴力団関係の調査に失敗して、日本海に沈められた同業者の顔が脳裏に浮かんだ。
探偵という職業を選んだ時、かすかな予感はあった。自分は畳の上では死ねないだろう、と。法に守られた表の世界と、光届かぬ闇の世界とを行き来する仕事なのだ。いつそうなっても不思議はない。今回の依頼を引き受けた時に、きっちり腹は括ったはずだった。
けれど。
自分の額に向けられた銃口の中に、虚ろな死の色を見つけて。
あの気丈な夏実が、押し殺した短い悲鳴を上げるのを聞いて……
強く、思った。
今じゃない。
ここでは死ねない。
──夏実を、夏実だけは守らなければ──
それから後のことは、ほとんど覚えていない。
記憶を辿ろうとしても、側頭部が鈍く痛むばかりで何も思い出せない。
気がついた時には、もう、全てが手遅れだった。
「……なつ……み……?」
声が震え、視界が霞む。なぜか左腕の感覚がなかった。
そして、獰猛なまでに痛む胸。まるで、見えない手に心臓を鷲づかみされたかのようだった。
「なつ……み?」
男たちの姿はどこにも見えない。ただ深々と降り注ぐ雪。
「夏実!」
悠二はかすれた声をふり絞り、相棒の名を呼んだ。
だが返事はない。
すぐそこにいるのに。目の前にいるのに。
「夏実! ──夏実!」
悠二の声は雪風にかき消されてしまう。
ああ、この雪! ちょっと静かにしてくれよ、夏実の声が聞こえない──
「夏実……?」
彼女は倒れ伏していた。積もったばかりの雪を鮮血に染めて。
白い大地が、そこだけ生命の紅に染まっている。その中心に、彼女は静かに横たわっていた。まるで、紅い花から生まれた女神のように。
悠二は言葉すら失って、その光景を凝視した。
「……あ……」
これはリアルな悪夢?
「……ああ……」
きっとそうに違いない。彼女が応えてくれないなんて、あるはずがないから。
でも、もうあの連中はいない。大丈夫だから返事をして、そして笑顔を見せて。
なあ、夏実……
「夏実ぃ……返事、してくれよぉ……」
悠二は息も絶え絶えになりながら、這いずって彼女の傍まで行き、その身体を軽く揺さぶってみた。
「夏実……」
だが、返事は返ってこない。
決して返ってはこなかった。
「……あ……ああ……」
夏実の顔が、純白に彩られていく。
夏実、夏実、夏実──…!
「あああああああああああああっ!!」
悠二の咆哮は長々と尾を引き……
そして、雪空に吸われて消えていった。