異端者たちの夜想曲

月城雪 (5)


 車窓に映る深夜の街並みは美しい。
 音もなく降り積もった漆黒の闇の中、自動車のヘッドライトや二十四時間営業店の蛍光看板が人工的な光源となって蠢いている。
 そう、いわば闇とネオンの共同劇場。あらゆる生あるものの息遣いが感じられるような気さえしてくる。静寂と喧騒。暗闇と人工灯。
いかにも象徴的だ。夜闇の下、明日のために身を休める人々と、逆に目覚めの時を迎えて活動する人々と。
 だが、この闇夜の中でどのようなモノが暗躍しているかを熟知しているサルビアは、素直に夜景を楽しむわけにはいかなかった。サイドギアを操作しながら、やや緊張した口調で話し始める。
「……地下のあちこちで不穏な動きが捕捉されてる、って件なんだけど」
 助手席に座った黒衣の少女──雪は、律儀にシートベルトを締めつつ頷いた。彼女は“夜刀”のリーダーである前に、首領ヒイラギの腹心であるので、ヒラのメンバーである悠二や将より多様な情報が与えられるのである。
「不穏の要因が推定されたのですか?」
「ええ……ほぼ間違いないわ」
 サルビアの瞳に暗い影がよぎる。畏怖、焦燥、不安……横顔には幾つもの思いがわだかまっており、それが雪に確信を抱かせた。いつも闊達なサルビアが表情を曇らせて言い淀むなど、そうそうあることではない。
 なおもためらった後、ついにサルビアは観念したように呟いた。
「≪SS≫。欧州最大の地下組織よ」
 それは、ドイツ連邦共和国に拠点を置く、歴史と力のある地下組織であった。
 第二次世界大戦後の数十年は、異能者の人身売買などを通じて日本の暗部とも太いパイプを有していたという。
 園主と呼ばれる首領の辣腕によって飛躍的に成長し、現在では闇に生きる人種なら知らぬ者はないほどの規模と実力を備えている。特に欧州における影響力は絶大で、もし≪SS≫の存在がなければ、複雑に緊迫した西欧諸国の地下領域の均衡は保てないであろうと囁かれていた。
 そんな暗黒社会の巨匠とも言える≪SS≫が、ついにユーラシア大陸を飛び越えて、極東の島国へと侵攻の魔手を伸ばしてきた、ということだろうか。
 雪は柔軟な思考を持っていたが、にわかには信じられなかった。しかしサルビアの示した調査報告には、ことごとくそれを裏付ける証拠が記されていた。
「まさか……本当に、≪SS≫が」
 手渡された書類を素早く斜め読みし、思わずうめく少女。
 ふと、整然と並ぶ文字列の中に幾度も登場する、とある単語に目が止まった。
(“白虎”?)
「ティーガー、と名乗っているそうよ。早い話が≪SS≫の尖兵、特務ユニットといったところかしら。先頃から波風立ててるのは、その連中のようね」
 前方を見つめたままサルビアが解説する。その表情はひどく硬い。
「≪SS≫の意図はまだ判然としないけれど、とりあえずはその……“白虎”について、鋭意調査中なの」
 今のところ分かっているのは、“白虎”と称する≪SS≫の手先が少人数であること。そして、彼らが地下に潜む咎人たちを煽り、無秩序な暴走を起こさせていること。その二点だけである。
「これからもっと忙しくなるわね」
「そうでしょうね。これは早急に手を打たなければ」
 読み終えた書類を元に戻しながら、雪はごく平静に返答した。先程の驚きはすでに霧散している。相変わらず見事なセルフコントロールだ。
「“風”や“海”も人手が足りなくてね。貴女にも命令が行くかもしれないわ」
「はい、構いません」
 通常、一般の構成員は定められた一つの領域にしか携わらないのだが、エーデルワイスだけは特別だった。あらゆる技能を習得した彼女は、融通の利く万能道具と評しても過言ではない。“夜刀”として暗殺を手掛ける傍ら、“風”として調査に奔走する。あるいは“焔”として破壊工作をこなしたりもするのである。
 結果として、どうしても超過労働になってしまうのだが、サルビアの知る限り少女が不満や疲労を訴えたことなどないし、表情にすら疲れの影を見せない。淡々と任務に従事し、黙したままめざましい成果を挙げる。それがエーデルワイスの常だった。
 少女に迷いはない。自身の持つスキルを駆使し、ヒイラギのために働くこと。それゆえに彼の腹心たり得るのだから。
 まばゆいヘッドライトの群れを窓越しに眺めながら、サルビアは嘆息した。
(“夜刀”の稼動率を上げても、それは所詮、対症療法にすぎない。早く原因の方をどうにかしなければ)
 少しずつ支配領域を広げていき、いつの間にか数多の地下組織を懐深くに抱き込んでしまう。≪SS≫の巧妙なやり方は脅威だ。
 彼らは≪桜花≫を懐柔しようとするだろうか。それとも……。
 ヒイラギは一体どう対処するのだろう。手を組む? いや、それはまずあり得ない。とすると徹底交戦か。
 しかし欧州最大規模の組織と対立して、果たして生き延びることが可能だろうか。
 自分たちはどうすればいいのだろう。これからどうなるのだろうか。
 不安なこと、分からないことばかりだったが、どちらにせよ、この見慣れた暗がりの中に異質の獣が紛れ込み始めたというわけだ。用心せねばなるまい。
 ≪SS≫。とんでもない連中が出張ってきたものだ。

 車内に沈黙が舞い降りる。
 唇を引き結んだまま、サルビアと雪はそれぞれに思案を巡らせるのだった。