異端者たちの夜想曲

月城雪 (4)


「では明日、同時刻にここへ集合。サルビア、車の手配をお願いします」
「ええ。他に必要なものがあれば言ってね。それから今回はターゲットが異能者だから、報酬は一割増しよ」
「了解」
 雪は軽く頷き、書類を全て封筒にしまった。これで事前打ち合わせは終了。後は任務を実行することだけ考えればいい。
 雪の白い手が非音楽的な音を立てて封筒をねじり、テーブルの上に置かれた巨大な灰皿にそれを放って無造作に火をつける。一連の動作を、悠二、将、サルビアの三人は黙って見つめていた。
 雪は打ち合わせが済むといつも書類を焼き捨てるが、“夜刀”の任務のために供される書類は、保持しておくべきもののコピーであるので、処分しても何ら問題はない。むしろ情報漏洩を防ぐために必要な処置だ。極言するならば、作戦確定後は、標的の経歴やら犯した罪など、記憶の埒外に追いやってしまってもかまわないのである。“夜刀”はただ、相手を仕留めさえすればよいのだから。

──… * * * …──

「ミッション完了。解散」
 少女が宣言すると、二人の連れは小さく息を吐いて車から降りた。
 今回のミッション──数ある汚れ仕事の中でも特に暗殺作業を指す──も滞りなく完了。いかに異能者といえど、頭蓋に銃弾の通った穴が空いてしまっては生き長らえることはできない。異端の能力を持っていても、所詮は同じ人間なのだから。
 いつもと同じく、解散場所は悠二らの住むマンションの駐車場。前もってサルビアに手渡され、任務に使用した武器類は全て積み込んだまま、車ごとサルビアに引き渡された。
「ご苦労様。二人とも帰っていいわよ」
 言われた途端、悠二と将は口々に残念そうな声を上げる。
「あれ、今日はお茶なしなの?」
「オレ喉乾いた」
 サルビアは思わず苦笑した。この二人、任務後は毎度この調子だ。罪悪感や自己嫌悪をごまかすために、自分自身を鼓舞するように、しきりにはしゃいでみせる彼らを、サルビアは痛々しい思いで見つめるより他はない。
「今日はね、まだ仕事が残っているのよ。ごめんなさいね」
 悠二と将が渋々ながらに立ち去るのを待ってから、サルビアは残った少女に向き直った。スーツの襟を正しながら微笑む。
「今夜の任務に関して、何か報告事項は?」
「特にはありません。報告書は通常通り明日提出します」
「そう、お疲れ様」
 サルビアは頷きながら、明快な返答を寄越す少女を観察した。
 血の気が薄い顔。相変わらず、任務の前後は何も口にできないのだろう。黒い皮手袋に覆われた指先は、きっと触れればひやりと冷たいに違いない。
 黒目がちな瞳はいつでも真冬の湖のような静謐さを湛えていて、その内に潜む感情を窺うことはできない。
 雪という名のこの少女は至って物静かで、しかも表情がごく淡い。抜群のセルフコントロール。ありとあらゆる感情を、己の内だけで処理することに慣れ切っているのだ。
 だからサルビアは、ある種の危惧を抱かざるを得ない。
 ヒイラギの忠臣、エーデルワイスと呼ばれる十六歳の少女。何があっても表面的には小揺るぎもしない娘だが、その精神は常に張りつめられているのではないだろうか。
 彼女の後姿を見るたびに、サルビアは懸念を新たにする。ちょうど引き絞られた弓によく似た、ひどく危うい強さに思えてならないのだ。
 月城雪──エーデルワイスの生き様を一言で表すなら、“凄烈なまでのひたむきさ”というのが近いかもしれない。激しさを内包した清澄さでもって、己の全てを傾け、一人の人物へとまっすぐ注ぎ込む。そんな生き方をしているせいだろうか、雪の双眸からは年相応の幼さや気紛れさはすっかり拭われて、代わりに途方もなく深く透徹した光が宿っているのだった。
 もちろん首領秘書たるサルビアとしては、≪桜花≫最高の尖兵であるエーデルワイスが、首領ヒイラギに絶対の随従を誓っていることに対して不服があるわけではない。ただ、少女の中でヒイラギという人物の占める割合が、あまりに大きすぎることが心配なのだ。
 ヒイラギのために幾多の感情を抑え込み、激務をこなし続ける彼女の姿は、サルビアの目にはひどく悲痛なものに映る。
 だが同時にサルビアの悟性はこう囁くのだ。自分もまた、エーデルワイスの同朋であるのだ……と。
「サルビア、どうしました?」
穏やかな雪の声に、サルビアは我に返った。
「……なんでもないわ。行きましょう」
 何やらここのところ、どうにも物思いが過ぎるようだ。“夜刀”の任務に使った国産車へ乗り込こみながら、自省の念に駆られるサルビアだった。