WILL外伝

夜更かしアリア

六二〇年収穫月/アリア

 今夜、これで何度目の寝返りだろうか。
 闇に沈んだ寝室。辺りを包み込む静寂は慣れ親しんだ毛布に似ている。とても落ち着くのに、どうしてこんなに眠れないのか不思議だった。
 稀にこういう夜がある。いつもだったら自分を易々と抱き取っていく睡魔が、いくら待ってもやって来ない、長いながい夜が。
 日頃からたっぷり睡眠をとれるように配慮された生活を送っている反動なのかもしれなかった。
 重厚な遮布に覆われた窓。今はまだ暗闇と同化しているが、壁時計の針があと数周もすれば、じきに朝の光が指先を伸ばしてくるだろう。

 寝乱れた髪先を弄いながら、そっと息をつく。
 いっそ起き出して、東外苑の星見台に登って夜空観察でもしたかった。実際そうして夜を過ごすことも時々ある。
 が、真夜中もとうに過ぎた今さら寝室を抜け出すわけにもいかない。侍女たちや夜警の衛士に余分な心配をかけたくはなかった。

 首に馴染む枕。軽くて温かい羽毛の掛布。天蓋に覆われた広く清潔な寝台は快適そのもので、だからこそ規則正しく眠ることのできない自分が情けない気がしてくる。
 身を起こすと、薄布越しに小さな卓が目に留まった。いつもお守りとして着けている月凛石の指環や、瀟洒な水差しなどの小間物が置いてある。

 そこに、薔薇の匂い袋があった。
 手に取ってみれば柔らかな感触が驚くほど心地良い。闇に慣れた目には、生地に施された細やかな刺繍すら見て取ることができた。
 華やかすぎない、優しい香り。この匂い袋はいつも穏やかな気持ちにさせてくれる。
 贈られたのは一昨年の初夏だった。時を経ても未だ褪めない豊かな芳香が伝わってくる。
 匂い袋を手に寝台へ戻ると、天蓋の内側に凝っていたものが、ほろほろと溶けていくように感じられた。

 掛布の中に潜り込んで、傍らに匂い袋を置き。
 閉じた瞼の下に浮かんでくるのは、長らく会っていない姉の面影だった。
 今や遠い──それでも大切な人。
 一体どんな想いで手ずから刺繍をし、密かに贈って寄越したのだろうか。匂い袋にリボンを結ぶ姉の白い手が、繰り返し脳裏に思い浮かぶ。
 慰めるように、甘やかな薔薇の匂いが心のひだを撫でていく。
 姉上、と呟いた声は唇からすべり出ることなく、かすかな吐息に紛れてやがて夜に溶け入る。

 夢の中で会えたらいいのに。
 そう思ったのは、眠りに意識を委ねる直前のことだった。


 END