夜更かしキリエ
六二〇年雨月/キリエ
一日の執務に区切りをつけ、夕食と湯浴みを済ませたとき、すでに時刻は真夜中に近かった。
寝室はほの暗く、いつもどおり支度は万端整えられていたけれど、まだ眠るわけにはいかない。やりたいことがあるのだ。できれば今夜のうちに。
女官たちを下がらせて、寝室の次の間へと入る。本来は不寝番の近衛兵や女官が控える場所だが、今では小ぢんまりとした書斎になっており、私的な書き物をするのに打ってつけの空間だった。
机の引き出しから便箋を取り出し、羽筆や墨入れをそっと並べる。公務用のものとは異なる、個人的な好みをより反映した筆記具。長年愛用しているぶん手に馴染む。
ここのところ政務が忙しく、私的な用事に手をつけようとすると、どうしても睡眠時間を削ることになってしまう。
書こうとしている手紙は、学友への礼状だった。
子ども時代、共に学んだ旧友ラグ。
彼は、現在では気の向くままに旅に出る風変わりな絵師として名高く、行く先々で目にした風物を描いては花燭宮に送ってくれるのだった。
賑わう市場や、はにかむ少女。彼の紡ぎ出す絵にはどれも独特の存在感がある。
今日届けられたばかりの一幅も、静謐ながら何かを語りかけてくるような雰囲気を持っていた。
風に揺られ、丘いっぱいに咲きさざめく無数の鈴蘭。
昨年ラグが北部を訪れた際に見た光景だという。
彼が公都を離れていた時期から推察するに、実際に花が開いていたわけではないだろう。にも関わらず圧巻の風景画を描き起こしてしまうあたり、芸術家とはつくづく底知れないと感心させられる。
身なりに構わず飄々としている友人の姿を思い浮かべると、伝えたいことが次々に出てきて、いつの間にか文章量が増えていく。
つい、埒もないことまで書き連ねそうになってしまうのは、にじみが少なく墨の乾きが早い、我が国特産の上質紙のせいだけではないだろう。
とはいえ、あまり長く書いてはまた苦言を呈されてしまうに違いなかった。僕なぞに手紙を書く暇があったらもっと眠ってください、と。
自分こそ徹夜だの昼夜逆転生活だの平気で続けるくせに、あの学友はまったく、いつもそうなのだ。
便箋を折り畳んで封をし、最後にゆっくりと花押を捺した。
小さく息をつく。
燭台の炎を消すために立ち上がったとき、ふと時計盤が視界に入った。
……これはやはり苦言を拝聴する羽目になりそうだ。
END