その翌日。
「ティキュ。オマエさんに客人だ」
劇団員の誰もが、師とも父とも慕う人物──団長が、ティキュのところにやって来てそう言った。
「お客様?」
ティキュは赤ん坊の頃に肉親を失って劇団に引き取られた。休日、個人的に面会を求めてくるような人物に心当たりはそう多くない。
(誰だろう?)
首を傾げると、団長は黙って手招きした。
「こっちへ」
団長は外へと促した。
公演中、劇団員たちは仮設天幕を立てて寝起きすることが多いが、今回は公都での公演とあって、特別に公館のひとつを借りている。
その建物の一番奥へと……人払いした廊下を、団長とティキュは進んで行った。
「失礼します」
応接間の中にいたのは、二人の男性だった。
身なりは上等。どちらも知らない顔である。
だが彼らが身にまとった制服には見覚えがあった。大公の助言機関《クリスタロス》だ。
(なんの用かしら)
挨拶を交わしてティキュが腰掛けるなり、客人はまっすぐな視線を寄越してきた。
一体何だというのか。
二人の来客のうち、年長の方がまず自らの身分を明かした。
まだ三十代に入ったばかりだろうか、名はレヴィスというらしい。格闘選手のような体格だが、穏やかな声の男だった。
「なんですって?」
彼の話を聞いて、思わずティキュは非個性的な問い返しを発した。
「貴女には、ぜひ《クリスタロス》の一員になっていただきたいのです」
レヴィスが端的に告げると、もう一人が言い添える。
「貴女は異能者でいらっしゃるのでしょう。隠さなくて結構ですよ」
異能者。不可思議な能力を備えている人間のことだ。
劇団の中でもごく少数しか知らないことだが、ティキュは確かに異能者だった。
遠く離れた場所で、今何が起こっているのかが手に取るように分かる。『遠隔視覚』と呼ばれるものだと、レヴィスは言った。
「大公陛下は、異能者が一般人と等しく暮らせるような国づくりをお考えです。すでに基本方針案は両院一致で議会に承認されました。これから大公国は徐々に変わっていくでしょう」
先代の治世下では、異能者は差別され、弾圧されるのが常だった。専用の隔離施設まで設けて社会から排除しようとしたほどである。
それが今、変わりつつあるのだという。
《クリスタロス》は大公の私有物ではなくなり、外部監査を受け入れるようになった。
公的機関に準じる位置付けで、新たに様々な活動を始めている。
その一環としての、異能者の積極的採用。
特異な能力があるならば、それを活かすすべを模索する。若き大公陛下の直々のご意向なのだそうだ。
「そこで、貴女のような方にぜひ《クリスタロス》へ来ていただきたいのです」
(なるほど、ね……)
役者としてのティキュの名声を、宣伝に使いたいのだろう。
在野の異能者はまだ数知れず、周囲の冷たい仕打ちに一人で耐えているのが現状だ。
そこへ、ティキュのような名の知れた人間が異能者として《クリスタロス》に迎えられたと知ったら……
もしかしたら、世の中が少しだけ変わってくるかもしれない。
「……ティキュ?」
黙り込んだティキュを見て、団長が驚いたように声を上げた。
役者として、あれほどの輝きを放つティキュである。勧誘など受けるはずがないと思っていたのだろう。
だがティキュは真剣に考え込んだ。
──… * * * …──
「なあティキュ……本当にこれでいいのか?」
団長が悲しげに言う。
手塩にかけて育て上げた秘蔵っ子が、こんな経緯で劇団を離れるのだ。無理もないだろう。ティキュは困ったように笑うしかない。
「後悔、しないか?」
これは自分で選んだ道だった。
劇団≪白鳥庭園≫を抜け、役者を廃業する。
これからは《クリスタロス》の一員として、自分にできることから始めるのだ。
観客と夢幻の時間を共有するのは大好きだ。
役者は己の天分だと、今も思っている。
──でも。
他人と違う力を持って生まれたために、己の運命を呪っていきている人がいる。それは、隠しようのない現実。
ティキュ自身は、劇団という特殊な空間の中で育ったおかげで、抑圧されることも歪むこともなかった。
だったら、とティキュは思う。
自分は、他の人に手を貸してあげられるのではないだろうか。
人を現実から引き離すのではなく、暗い現実にわずなか光を呼び込むことが、できるのではないだろうか。
異能力を、それを抱えて生きている自分を。引け目に感じる必要などないのだと、まだ見ぬ誰かに伝えたい。
かつて団長がティキュにそうしてくれたように、膝をつきあわせて話を聞いてあげたい。
そうティキュは思う。
「団長、皆。今まで、本当にありがとうございました」
居並ぶ同朋たちに一礼して、ティキュは役者人生に別れを告げる。
長かったその髪はさっぱりと切られ、夏の風に揺られていた。
ティキュ、二十歳。
こうして『真夏の夢』が彼女の最後の主演作品となった。