10周年記念
虹の追憶 (2)
十年前。
月日を経て、不器用にもどうにか折り合いをつけるすべを知ったのちも、心の痛みが薄れることはなかった。ましてや忘れるなどあり得ない。決して。
痛みも苦しみも、今となっては思い出の多くが悲涙に縁取られてしまっていることさえも、なにもかもが『彼女』に分かちがたく結びついているのだから。
荒れ狂う感情の嵐に翻弄され続けるのも、『彼女』がかけがえのない存在であるがゆえ。その裏返しなのだから、どうして手放してしまえるものか。
エリッサ。
そう、確かに彼女は無二の人だった。幼い自分にとってはエリッサが世界のすべてに等しかった──
往来の通行を妨げかけていることに気づき、セレシアスは端に避けた。街路樹に軽く背を預けて深呼吸しているうちに、詰まっていた息が少しずつほぐれてくる。
仰いだ空は鮮やかな晴天だった。
『彼女』の瞳と同じ色彩だ。吸い込まれそうに高く澄んだ、雨上がりの蒼穹。うっすらとした虹が白雲の切れ間に架かっていた。
どうしてだろうか、虹というのは不思議なもので、透き通った儚い風情なのに、偶然見つけるたびに少しばかり嬉しくなる。それは子どもの頃から今も変わらない。
だが、ほんのり灯った和やかな気分も次の瞬間に色を変えた。
美しい虹が出ていたのは、かつて『彼女』と共に暮らしていた家の方角だった。気づいた途端みるみるうちに胸が締めつけられ、憂いを含んだ蒼色に染め上げられる。
その痛む胸の真ん中に、ふわりと浮かび上がるものがあった。
エリッサを連れた旅の途中、この町を通った際に“手放したもの”。
セレシアスは半ば呆然と歩き出していた。虹に誘われるように。かつて暮らした家のほうへと。
つい先ほどまであれほど朗らかに見えていた周囲の景色も、今や単なる視覚情報としてしか意識に入ってこなかった。ざわめきもどこか遠く感じられる。
──十年前にも歩いた道。
雑踏の中に、憔悴しきったあの日の二人がふらりと現れそうな気がする。
もしあの頃のエリッサと自分に出会ったとしたら、今の自分は一体なんと声をかけるだろうか。ぼんやりした頭で想像を巡らせる。いくつかの言葉が脳裏に浮かび、浮かんだ片端から消えていった。
結局のところ、かける言葉などありはしないのだった。あの時も、今でさえも。
小道をいくつか通り抜け、海とは反対側になる郊外へと進んでいく。舗装された馬車道が次第に素朴な砂土の道になり、旅靴越しに伝わる感触が変わった。大通りでは賑やかに軒を連ねていた露店も間遠くなって、やがて絶えた。
近づくにつれて鼓動が高まる。
どうやらこのあたりにはまだ開発の手が届いていないらしい。記憶にあるよりもさらに嵩を増した木々が、鮮やかな緑の腕を広げて微笑んでいた。
蛇行した小道にはすっかり草が生い茂り、獣の通り道と大差ないような状態になっている。砂利や雑草を踏みしめて歩いているのにどこか足下が浮いている気がするのは、きっと目まぐるしく渦巻く様々な感情が身体中を満たしているからだろう。奇妙な浮遊感がつきまとって離れなかった。
現実味の薄い足取りで歩き続け、セレシアスはとうとう懐かしい場所にたどり着いた。