──… * * * …──
家の前に立った時まず感じたのは、短い間にこんなにも変わってしまうのか、という衝撃だった。ここで暮らしていたのはつい先年のことなのに。
人が住まなくなった家は荒れる──いつか聞いたとおりだ。悲しみと諦めに挟まれて、寂寥のしずくが心にしたたり落ちる。
未だ成長途上の手を伸ばし、セレシアスはそっと扉に触れてみた。ざらりとした感触。見回せば、窓枠は歪み、壁は白茶けて変色していた。
現在と過去との隔たりを強く意識させられる。
無人の廃墟はこうして朽ちていくのだろうか。
だとしたら。
セレシアスは振り返った。茫洋とした表情のエリッサが旅装をまとって佇んでいる。フードから覗く花のような貌。けれどその瞳から以前のような光が消えて久しく、呼びかけに応えてくれることはもう稀になっていた。
ずっと、二人で転々と移り住みながら暮らしてきた。たいていは粗末な空き家だった。郊外に打ち捨てられた今までの小屋も、こんなふうに静かに壊れていくのだろう。
それが二人が残す痕跡の全て。ただ廃墟だけが各地に取り残されて、じっと時の経過を待っている。まるで墓標の群れのように。
変質し、壊れる。運命。奔流となって渦を巻く、諦めに似た物悲しさ。
かつては帰る場所であり拠りどころだった。今はもう違う──
エリッサの手を取ろうとして、ふと自分の手首に目がとまった。色とりどりの刺繍糸で精緻に編まれた組紐が、腕飾りとなって着けられている。それは遠い日にエリッサがお守りとして作ってくれたものだった。
赤黄緑、青に紫。美しく繊細な虹色の模様がどれほどの手間隙をかけて編まれたのか、セレシアスはよく知っていた。もらったお守りのお返しに、セレシアスもまたエリッサに組紐を編んで渡したからである。
長生種の里では、幼年の者は男女の区別なく皆が刺繍や裁縫を習うのだという。伝統的な安産祈願の腹帯をはじめ、氏族の儀礼行事には織物や刺繍布が欠かせないからである。
時には壁掛けや外套を仕立てて人里に売ることもあるらしい。長生種は基本的に通貨を持たない生活だが、北限の町アイシスあたりでは重厚な刺繍の入った敷物など細工物の類が喜ばれるため、それなりの頻度で物々交換が行われるという話だった。
そうした土地柄に生まれ育ったエリッサは、自身の技術はもとより教え方も上手くて的確だった。仕上がった組紐は子どもが初めて挑戦したにしてはなかなかの出来栄えで、エリッサはとても喜んで腕に巻いていた。
あの頃はまだ、彼女は心からの笑顔を向けてくれていたのだ。エリッサの笑顔が何よりも嬉しくて、セレシアスはそれから肌身離さず腕飾りを身につけるようになった。綻びてくれば、その都度エリッサが丁寧に繕ってくれた。
絆を感じられる、大切なお守りだった。
互い以外に頼る者のない二人にとって、目に見える唯一の証しのようで。
──でも、もう、必要ない──
むせび泣く胸中とは裏腹に、凪いだ目でセレシアスは自分の腕飾りを外した。続いてエリッサに手を伸ばすよう促せば、すんなりと白い腕を出してくる。
セレシアスの掌の上に一対の組紐が横たわった。
ほんの少しの間、目を伏せる。
追憶と哀惜の一瞬。
小さな瓶につめられた二本の組紐は、言葉にならなかった想いと共に、質素な家屋の傍らにひっそりと置き残された。
亡き人を悼み供物を捧げる儀式にも似た光景。静まり返った中、時折吹き抜ける風に木々だけがさざめいていた。
やがてセレシアスはエリッサの手を引いて立ち去る。
彼女は終始うつろに微笑んだままだった。