セレシアスは一対の腕飾りを掌に包み込んだ。
ひょっとしたらこの組紐は、エリッサと向き合う心積もりができるのを待っていてくれたのかもしれない。
十年前にはひび割れた絆の残骸を象徴しているかのようだった虹色の腕飾り。セレシアスは二本とも丁重に手巾でくるみ、懐に収めた。
外套の上からお守りに触れる。いつの間にか目を閉じていた。思考と感情だけがゆっくりと満ちていく。
人は、変わるものだ。
現に、つい最近までは決して耳朶を人目にさらしたくなかったのに、ここのところ食事の時くらいは平気になった。外出時にフードを目深にかぶるのは無用の騒動を避けるためだ。逃げ隠れするためではない。
半年前には考えてもみなかった心境である。
『セレス君は、別に何にも悪いことしてないでしょ? だったら、もっと堂々としててもいいんじゃないかな』
そう言った少女の面影が脳裏に浮かぶ。
屈託なく笑っていた。光を含んだ目は周りのすべてを興味深そうに見つめ、《クリスタロス》の過ちを目の当たりにしたあの時でさえも、出来事ひとつひとつを真っ向から全身で受け止めていた。
彼女の素性を考えればこんなふうに言うのは不敬だろうが、まったく大した奴だとセレシアスは思う。
物知らぬ箱入り娘ではあるものの、彼女は自分自身をごまかしたまま逃避行を続けようとはしなかった。とまどって葛藤しながらも、きちんと現実に向き合って考え、その上で己の身の振り方を決める道を選んだのだ。生半可な気持ちでできることではない。
セレシアスより年下の、無垢で真面目な一人の少女。夢にまどろむ人形姫ではなく、自ら学び、決断し、飛び立つ野の鳥であろうとしていた。
共に過ごした時間は短かったけれど、背筋を伸ばした彼女の姿にどれほど心動かされたことか。
きっと彼女は知らないだろう。混血の《クリスタロス》技能員に、自分がどれほどまぶしい光を投げかけたのか。
(アリア、元気でやってるかな)
生まれ持った血と異能、そして課せられた地位のせいで、彼女はこれからもたくさん悩むのだろう。
どうかその時には、あの子を名前で呼んでくれる存在が傍らにありますように。
願わずにはいられなかった。たとえひどく揺らいでも、背に触れる指先のぬくもりがあれば、彼女はきっと踏みとどまれるに違いないから。
心から、そう願う。
おそらく二度と会うことはないだろうけれど、セレシアスにとって金髪の少女はこれから先も決して忘れ得ぬ人物となっていた。
(十年後、あの子はどこで何をしているのかな)
どうも少しばかり感傷的になっているらしく、とりとめのない想像の翼が広がっていく。自分の未来は霧に包まれてほとんど見えないのに、大人になったアリアの姿はなんとなく思い浮かぶのだから妙なものだ。
二十代半ばにさしかかった彼女の横顔。しっとりした落ち着きを帯びた双眸に、やさしい曲線を描いて淡く色づく頬。眼差しはやや伏せられて、腕の中で眠る赤子へと慈しみ深く注がれている。
乳飲み子の瞳は何色だろうか。ああ、母親にそっくりな春の青空色かもしれない……
気づけばすっかり物思いにふけってしまっていた。
徐々に夕暮れが忍び寄ってきている。大通りに戻って馬車を使えば日没前に次の町へと入れるだろう。
目測を立て、セレシアスは再び歩き始めた。
ふと見上げれば、いつの間にか虹は空に溶け入っていた。代わりに甘く柔らかそうな綿雲がゆったりと流れていく。
晴天に、エリッサの双眸が重なることはなかった。ただ青空が美しく、快い。
空気を胸いっぱいに吸い込むと、自分の芯にささやかな明かりがともるような気がした。
この空の下で、生きていく。
彼女の元にも、まだ見ぬ遠い地にも、この空は遙かに続いている。
すべては自分次第だ。どこにだって行けるし、きっと何にでもなれる。
生きていくのだと、セレシアスはこの時ようやく目の覚める思いで実感したのである。
END