2周年記念

「夜が来る」 (1)



つな様リクエスト
エルガー+戦い


 走る、走る。
 エルガーはひた走っていた。
 隣には、同じく必死の形相で疾走している仲間の姿。互いに競うように、ひたすらに前へと突き進む。
 整然と並んだ、しかし古びて苔むした建物群の間をすり抜け、蜘蛛の巣を打ち払い、駆け抜ける。
 速く。隠密に。荒く乱れた息遣いを押し殺して。
 追跡者はまだこちらを見失ってはいないだろう。後方から複数の気配が迫ってくるのが何よりの証。それほど近くないものの、足取りは確かだ。このまま全力で駆け続けたとしても、振り切れるかどうか微妙なところかもしれない。
 黴臭い建物の集合地を抜けると、突如として視界が開けた。
「……森林区域!」
 戸惑った声を上げて連れが足を止める。
 一面に広がる濃緑の覆い。ほぼ手つかずの原生林だ。枝が、隣の樹の枝にかぶさるようにして密集している。
「止まるな、走れ!」
 躊躇している暇などなかった。ついでに選択の余地もなし。一目散に緑の懐に飛び込んで、再び疾駆。
 追われる身にとって、折り重なった梢は好都合だ。追っ手の目からこちらの姿を隠してくれる。
 後は、自分たちが方角を見失わないでいられるかどうかに、全てがかかっている。
「なんか目印とかつけなくて大丈夫かよ!?」
「んなモンつけたら、どうぞ辿ってきてください、って言うのと変わらないだろ! 今の最優先事項は連中を振り切ることだ!」
 半ば自分を叱咤して、エルガーは森の奥をがむしゃらに目指す。
 軍靴が腐葉土を踏みしめるたびに、夕闇の中で生きた土の独特な匂いが立ち上る。濃密なその匂いにようやく意識が向いたのは、追跡者の気配が完全に途絶えてからのことだった。


「撒いたかな」
「どうだか。森を迂回して待ち伏せ、ってな戦法かもしれないぜ。なにせ連中、現役軍人なんだからな」
「昨日今日入隊した俺らとは違う、ってわけか」
 嘆息する連れを眺め、エルガーは苦笑した。
「趣味の悪ィ研修なのは確かだな。新人隊員二人一組、先輩の妨害を凌いで時間切れまで堪え忍べ、なんて」
 場所は、大公直轄地の外れに位置する公軍の演習基地。市街地や沼地、森林等、訓練の際の様々な状況設定に対応できるよう誂えられている。民間人から苦情がくることはないし、思い切った訓練ができる点が特長だった。
 入隊したばかりの十八歳のエルガーが今回ここですることは、要するに壮大な鬼ごっこである。
 首から下げた小さな飾りを奪われないように死守しつつ、逆に先輩から飾りを奪えたならなお良し。終了時点で所持していた首飾りの質と量で、研修の評価が下されるという仕組みだ。
「先輩の首飾りなんてどーやって奪えってんだよ、なあ? 武器もないし、逃げるだけで精一杯だってのに。このままひたすら自分たちの首飾りを守るのに撤するのと、玉砕覚悟で突っ込んでみるのと、どっちがいいかなぁ」
 くじ引きによりエルガーと組になった男は同年代で、今朝の研修説明会が初対面だった。
 樹にもたれて不満を垂れ流しているように見えるが、呟く内容が少しずつ建設的になってきている。どうやら喋りながら考えをまとめる質のようだ。
「森に追い込まれて、やられっ放し──ってのは気に食わねェな」
 エルガーが下草を掻き分けて進み始めると、連れは慌てて後を追ってきた。
「なんかいい考えでもあるのか?」
「……アンタ、名前は?」
「え? あ、名前ね。ジオ・レクレハだ」
「そうか、ジオ」
 面食らいながらも答えてよこした連れを振り返り、エルガーは不敵な笑みをこぼす。
「アンタは運がいい。組になったのがこのオレなんだからな。それに」
 梢のわずかな隙間から見上げた空は、すでに茜から薄藍へと裳裾の色を変えていた。
「夜が来る」
 戸惑うジオに、エルガーは短く告げる。
「好機はこれからだ」
 鬱蒼と生い茂る草葉の中、エルガーは獰猛な若獅子のように行動を開始した。