ファンタジースキーさんに100のお題

012. 若き支配者


 父上が身罷った。
 年齢的にはまだ壮年だったけれど、わたしはその崩御を早すぎるとは思わなかった。なぜなら父上はずっと人知れず悩んで、頬が削げ落ちるほど苦しんで、苦しんで。そうして徐々に衰弱していったのだから。

 この数年の父上は、わたしの目から見ても、古びた蝋燭の灯火のように弱々しかった。最後の瞬間など、残った気力を全てふりしぼってやっと息を引き取ることができた──そんな風情だったほどに。
 覚悟はとうにできていたので、わたしは怜悧に公太子としての最後の務めを果たすことができた。慣例通りの手続きを踏み、内外に公式発表し、喪に服す。こちらの隙を窺うようなジュムール皇国の不穏な動きが気になったけれど、宰相たちがうまく牽制してくれたおかげで事なきを得た。

 父上に贈られた諡号は“幽王”。異能者の隔離政策を断行したがゆえに。
 葬儀には近隣各国の国主が参列し、わたしはその応対に追われて息つく暇もなかった。そのせいだろうか、悲しみをどこかに手放してしまったかと思うほど悲しさを感じなかった。
 たぶんこれで正解なのだろう。次代大公たる者が泣き暮らすことなど許されない。

 父上だってそうだった。母上が亡くなった時、誰よりも深い喪失を味わったはずの父上は、それでも通常と変わりなくきっちり政務をこなしていた。
 わたしはそんな父上の姿をこれまでずっと間近に見てきている。いま何をするべきで、何をするべきでないのか、おおよその見当はつく。大公代理はわたししかいないのだ。目の前に積まれた仕事はまるでキーツ山脈のようだった。

 そんなわけで、国葬と、それに伴う一連の儀式と手続きが済んだ頃には、いつの間にか喪も明けていた。
 その頃になって、ようやく父上を思うと涙が零れるようになった。我ながら薄情なことだけれども。
 そんなわたしに課された次なる山。それは即位式だった。


 *


 わたしは生まれた瞬間から世継ぎの公女だった。
 大公国では末子相続が一般的だけれど、大公家に限っては長子相続が原則なのだ。早く生まれたぶんだけ、大公となるための勉強がたくさんできるから。未成熟な者が国主となるのは誰にとっても悲劇だろう。よほどの理由がない限り、大公の地位は長男長女が継ぐことになっている。
 だからわたしは、自分が大公になることに対しての抵抗感はなかった。

 ただひとつだけ、気になるのはあの子のこと。
 わたしが大公となったら、わたしの実の妹──あの子は第一公位継承者ということになる。
 むろん未成年ゆえ正式な地位ではない。けれど、立太子しなくても、誰もがあの子を次の世継ぎだと考えるだろう。
 少なくとも、そう、わたしが結婚して子どもをもうけるまでは。

 あの子。父上が『夢路御殿』の奥深くに閉じこめてしまったあの子。
 子飼いの組織だった《クリスタロス》に厄介な娘を押しつけたような格好であっても、父上は最後まであの子を気にかけていた。

「あの子を頼む」

 ──それが父上の遺言。
 ああ、わたしはどうしたらいいのだろう。
 今すぐあの子を自由にして、第二公女として即位式に出席させる?
 それは素晴らしい、わたしだってあの子の傍にいたい、わたしが宝冠を戴く姿をあの子に見届けてほしいと思う。
 でも、あの子は、人にあらざる力を抱いた異能者だ。隠していてもいずれ露呈するだろう。異能者を異分子として扱い、研究の名目で一つ所に収容していた父上の、実の娘が異能者だったなどと……しかもそれを今まで隠し通してきたのだと、国民が知ったら一体どう思うだろうか。

 いや、国民はまだいい。自国民を欺いていた父上の咎は、次の大公であるわたしが引き受けよう。
 けれどもジュムール皇国──あの“東の餓狼”は、あの子が引き起こすプレアデス大公国の揺らぎを、果たして見逃してくれるだろうか。

 周辺小国との国境を次々に侵し、四大国のひとつにまで成り上がった軍事政権国。海で隔てられているからといって安心はできない。武器をもって叩き潰すことだけでなく、彼らは相手の内側に潜り込んで徐々に巣食うこともできるのだ。侮っていると取り返しがつかなくなるのは、すでに東の小国が幾つか併呑されていることからも明らかだった。
 それでなくとも国主の代替わりには必ず不安要素がつきまとう。今、国内を荒らすわけにはいかない。

 そして迎えた即位式。
 国花である鈴蘭を模した首飾りと耳飾り、生花の鈴蘭をあしらった優美な髪飾り。両手首には大公家の家紋が刻まれた腕輪が煌めいている。身を包む天鵞絨はまるで指先でそっと集めた月光のよう。
 豪奢な第一礼装を纏い、わたしは即位した。

 儀式が執り行われた広間には、見渡す限りの貴族や国賓がひしめいていた。けれども公族の席は設けられておらず、母方の祖父、つまり外戚であるレグルス護国卿を除いて、近しい血縁者の出席はひとりもない式典となった。
 人々に見守られる中、わたしは壇上に鎮座する輝冠を手に取る。純白の手袋に覆われた指先に、その重みが確かに感じられた。

 プレアデス──六連星、すなわち大公家を筆頭とする六つの貴き血──を示す六種類の宝玉が埋め込まれた至上の冠。
 遠い国々では信仰の頂点に立つ者が王に冠を授与するそうだが、プレアデス大公国の国主は、輝ける宝冠を、自らの手でもって己が身に授ける。それは、望んで大公の地位を受け継ぐのだという意志表明であり、宣誓でもある。
 建国の聖母王から父上に至るまでの、通算二十一名の大公がそうしてきたように、輝冠を頭上に戴いた瞬間から、わたしは正式にこの国の大公となった。

 史上最年少、二十歳の大公の誕生。国中が沸き返ったような祝賀雰囲気だった。
 彼らはまだ誰ひとりとして疑問に思っていない。父上が「身体が弱いので静養中」と言い続け、影に隠してしまった第二公女。民衆がその存在を思い出すのは、当分先のことだろう。
 わたしはすでに決定を下してしまったのだ。宰相らの意見を退けて私情に走ることはついにできなかった。だからあの子は今ここにいない。

 きっとわたしはこの日を生涯忘れないだろう。


イラスト:晴様