ファンタジースキーさんに100のお題

019. 最初の冒険 (2)

 葛葉は目を閉じた。深く重い嘆息が漏れ出る。
 人妖と人間、双方の部族の軍が全滅。そして怪異は解き放たれた。それがあの戦の顛末ということだった。

「あれの名は殺生塚という。猛毒の怨霊を、旧き時代より封じておったのだ。鎮護などではない、封呪の石碑だったのじゃ」

 絞り出した声は震えている。怒りか悲しみかも判然としない。ただもう、やるせなくて、虚しかった。
 目を開けると若者と視線がかち合う。
 言葉がまるで意味をなさないこともあるのだと、彼女はこのとき初めて実感した。


 *


「行くのか」
「うむ。世話になったな」

 それから数日を経て、彼女は今、面倒をみてくれた若者に別れを告げようとしていた。

「もう再び会うこともあるまいが、おぬしの顔は覚えておこう。仇敵の一族たる妾を救うてくれたこと、恩に着る」

 おかげで毒気に当てられて失った力も次第に戻りつつある。
 圧倒的な喪失感に耐え切れずに虚脱状態のまま幾日かを無為にしたが、泣いて泣いて泣きはらした後、今後自分が何を為すのかを見出したのだった。

 ──喪ったものの多さと重さ。今はまだ強いて考えないようにしているけれど、無理に押し込めて蓋をしても、いつか必ず向き合う日がやってくるだろう。痛みに触れることを先延ばしにしただけだ。
 それでいい、と彼女は思った。嘆き、悼むよりも先に為すべきことが、彼女にはあるのだから。

「じゃが、あの場で妾を捨て置けぬようでは戦人には向いておらぬよ。郷里の田畑に戻るがよかろうな」
「そうだな……」

 若者は、眩しげに彼女を見つめて苦笑する。柔らかな風が二人の間を通り過ぎていった。

「怨霊を追って、封じられる見込みはあるのか?」
「分からぬよ」
「分からんって、そんな」
「奴の向かった先の地脈の力具合にもよるし、月の満ち欠けや太陽の位置も絡んでくるじゃろう。その場になってみなければ断言などできぬ」

 彼女が鉄扇で指し示した方角は北東。死と毒気を振りまきながら怨霊は北へ東へと進んでいるのだ。気脈の乱れを読み取れば追跡は難しくなさそうだった。
 ま、そういうわけじゃから、と言って彼女は若者に歩み寄った。彼は突然間近に迫った琥珀の瞳に大いにうろたえて、その頬には見る間に朱が昇っていく。

「な、や、えっ?」

 葛葉は訝しげに顔を上げた。

「なんじゃ、早う結んでくりゃれ。その編み笠、妾への餞別であろう?」
「……は」

 彼女の目線はといえば、彼が手にした上品な編み笠にしっかりと注がれている。どうして早く着けてくれないのか、と心底疑問に思っているのが明らかだった。
 一瞬とはいえ胸を高鳴らせた若者は、がっくり虚脱して嘆息するしかない。

「まったく訳の分からぬ奴じゃな、おぬしは。よい、自分で結ぶ」
「やらねーって! 誰もあんたにくれてやるなんて言ってないだろ!?」

 ふん、と鼻息荒く若者は編み笠を己の頭に乗せて括りつけた。

「違うたのか」
「あんたらと違って、俺たち人間は皮膚が傷みやすいんだからな。これがないと旅なんてできやしない。特に北はな」
「おぬしの郷里は南だと言うておったじゃろ」

 頓着したふうもなく言い返す彼女に、若者はそっぽを向いたまま呟いた。

「俺も、一緒に行く。あの災厄を甦らせちまったのは、うちの軍だから」
「……そうか」

 さらりと頷いた彼女を前にして、反対に若者のほうが首を傾げる。

「足手まといだ、とか、これは妾の旅だ、とか言わないのか?」
「言わぬよ。おぬしが供なら心強かろう。なにせ妾は領地の外へ出るのは初めてじゃからな。随伴を許すぞえ」
「は、初めて!?」

 あんた百歳はとうに超えてるはずじゃ、という発言はかろうじて飲み込むことに成功した若者だった。

「前途多難だな……」
「ならば長居は無用ぞ。あの忌まわしい存在は、時が経てば経つほど生命を食ろうて強大になるじゃろう。猶予はない。遅れるなよ――ええと、おぬし、名は?」
清白(せいはく)だ」
「せいはく、清白じゃな。妾は」
「名ならもう聞いてるよ、葛葉」

 きょとんとした琥珀金の双眸に、若者は寂しげに笑いかけた。

「戦場であれだけ誇り高く名乗りを上げられる奴はそうそういない。俺には一生無理だろうな」

 後半の言葉は唇の内に留まり、彼女の耳に届くことはない。清白はもう一度苦笑いを浮かべた。

「呼び捨てるとは無礼な奴じゃ」
「無礼はたいがいお互い様だろ」
「口の減らぬ随従じゃのう」
「どういたしまして」

 そうして、どちらからともなく歩き始めた。  山越えの小街道は野花に彩られ、猛毒の怨霊が解き放たれたあの日が悪い夢だったような錯覚すら覚える。しかし夢や幻などではありえず、優しかった偉大なる父はもはや亡い。一族ことごとく滅び、もはや彼女はたった一人の生き残りとなってしまった。

(妾は最後の血族。白蔵大主の娘としての責務を果たさねばならぬ)

 姫御前と崇められ、生まれた瞬間から人々の情愛を一身に受けてきた。もう亡い彼らに報いるためにも、きっと災厄を封じてみせる。
 決意と共に戦扇を握りしめ、前方を見据えた。

「ああ、そうだ」

 不意に視界が翳ったものだから、葛葉は驚いて清白を見上げた。
「やはり妾に貢ぐ気になったのか?」
「やらねーって。貸してやるんだよ。あんた無闇に目立つんだから、編み笠でもかぶっとけ」

 清白の横顔を見上げ、彼女は小さく微笑んだ。

(なんの因果か、妙な連れもできおった。父上のお計らいじゃろうか)

 編み笠を押しやった清白は、彼女を追い越してどんどん先へと進んでいく。あらぬ方に視線をやって、しかめっ面を貼りつけたまま。それがなんだかおかしくて、彼女は背中に向かって声を上げた。

「目立つというなら姿を変えよう。ほれ、これでどうじゃ」
「げっ、道端で妖術を使うなよ!」
「なんの変哲もない婆に見えるじゃろう?」
「婆は山越えの旅なんぞしねえよ!」
「む、そうか。ならば旅芸人がよかろうな」
「ころころ化けるな、この女狐ぇー!」

 悲鳴に近い清白の罵声が山野に響き渡る。彼女は鷹揚に笑って取り合わない。


 季節は春。かくして二人の怨霊封じの旅は始まったのだった。


イラスト:六花様