ファンタジースキーさんに100のお題

044. 古の巫女 (1)


 暦を遡ること幾百年(いくももとせ)。額田部の女君の御代のこと。

 ひとりの稀有なる巫女がいた。
 幼いながらもたいそう霊験あらたかで、小さな村の中はむろんのこと、近在でもその存在を知らぬ者のない御巫(みかんなぎ)であったという。
 神へ捧げる神楽を舞い、病気平癒の祈祷を行い、折々の吉凶を占う。そして何よりも重要な役目が、神の声を聴くこと。神託を授かり、雲上より賜った言葉を人々へ伝えることだった。

 数多の威霊と共に在った神代はもはや遠く、ヒトが地上に取り残されて久しい。年月を経るにつれ、神霊の声を聴ける者は減っていく一方。
 しかも、俗世の穢れに身を浸せば神の声は遠ざかる。託宣を得るためには、資質に恵まれた御巫が厳しい修行を重ねた上に、特別な清浄さを常に保たねばならないのである。
 そうした背景から、力のある御巫は中央に召し上げられてしまう場合が多かった。ひなびた寒村に託宣の巫女がいてくれるというのは類まれなる僥倖だと、村中の者が鎮守の森に住まう幼い巫女を崇め奉っていた。

 尊く神聖な巫女が人前に姿を見せることは滅多になく、村人たちにとっては都びとよりも近寄りがたい、半ば雲の上の存在であった。
 ──ただ一人の例外、人形師の青年を除いては。

 その者は人形師の家系の跡取りだった。成年に達する頃にはすでに一人前の職人として周囲に認められていたというのだから相当の腕利きだろう。
 物心つくより先に見よう見まねで泥をこねて人形を作っていた彼は、それが生来備えていた本能であるかのように人形を作り出すのだ。呼吸をする、食事をとる、人形を作る。彼にとってはどれもごく自然の行いであり欲求でもあった。

 そんな青年は年に一度、寝食を惜しんで特別な人形を作る。
 時を費やし技術の粋を尽くし、とり憑かれたように熱意を注いで……そうして生み出されるのはとびきり精緻な少女の人形。巫女に捧げるための特注品だった。

 神託を賜るには並はずれた清浄さを維持しなければならない。だが、いかに禊を重ねようとも、生身の人である以上は気づかぬうちに穢れが少しずつ蓄積されていく。これはやむを得ないことだ。
 ゆえに巫女は年に一度、穢れを人形に移す。
 彼女に似せた形代に穢れを集め、忌みものとなった人形にしかるべき処置を施すことで、巫女の身の清浄さを取り戻すのである。
 そうして巫女は神に仕え、青年は人形を作り、村は何年も平穏そのものだった。

 けれども変化は音もなく忍び寄る。
 巫女に似せた人形を精魂込めて作り続けるうちに、人形師はいつしか巫女に格別な想いを寄せるようになっていった。巫女のほうでもまた同様に。
 巫女と人形師。一年に一度、人形を奉納する刹那にのみ顔を合わせる間柄である。
 御簾越しに形式的な口上を短く言い交わすだけのひとときを、双方が密かに待ち焦がれるようになった。

 神託を授かる身に私情は御法度。交わらぬはずの道。禁忌であると知りながら、けれども魂に生じた共鳴を打ち消せない。二人の自制心を嘲笑うかのように、言葉で伝えずとも育まれてしまう奇縁がそこにはあった。

 月日と共に瓶の底でひっそりと熟成していく果実にも似た、密やかで艶やかな想い。
 互いに決して口外できぬ感情を秘めたまま、年月は粛々と過ぎてゆく。
 青年は巫女への思慕を物言わぬ人形へと注ぎ込み、彼の作品たちはますます霊妙な存在感を増していく。あまりの鬼気迫る美しさに、神業の人形師と評判が立つほどであった。

 その一方で、人形に込められた想念に気づいた巫女は、やがて穢れを移した人形を処分することができなくなってしまう。
 祓いの儀式は焚き上げ──穢れを宿した形代を清めの炎で焼き、その灰を神域の小川に流して完了となる。焼くことはおろか、巫女は穢れを人形に移すことにも強い拒絶反応を示すようになった。

 神に仕えることを唯一無二の使命として生きてきた巫女である。慕わしさを完全に封じ込めることも、さりとて二人手を取り合って出奔することも叶わず、ひどく苦しみながら、なおも青年の作り出した人形を忌みものとして扱えない。

 そこからの転落は早かった。
 託宣は間遠になり、神の声はふつりと途絶えた。連鎖するように田畑の不作が続き、近辺には夜盗が現れるようになった。街道を行き来する行商人の足は遠ざかり、あっという間に小さな寒村は飢饉に瀕していく。
 追い詰められた村人はいっそう巫女へと縋り、不安を和らげてくれる神託を待ち望むようになった。最後に残された希望の光を掴もうと鎮守の森に押しかけ、神々ではなく巫女当人に奉納品を捧げようとする有様。暴動寸前の混乱に陥ったという。
 それでも穢れを孕んだ巫女は役目を果たせなかった。

 巫女の不調の原因が人形師であると、最初に誰が言い出したのかは分からない。だが、極限まで張り詰められていた村の空気は一気にその噂で染め上げられた。神託という道しるべを失うことを人々は恐れ、否定し、ついには怒りが弾けた。

 無残に変わり果てた人形師の亡骸が打ち捨てられたのは、曼珠沙華の咲き乱れる畦道だった。
 荒れ果てた田の端、糸の切れた絡繰り人形が真紅の絨毯に横たわっているようにも見える光景だったという。


 *


「えげつないことするわねぇ」

 呆れたようなリッカの声に、固唾を飲んで話に聞き入っていた葛葉は我に返った。
 形の良い眉をひそめたリッカが「ほんっと、えげつないわ」と繰り返し、串団子を一口かじる。目を細めた表情から察するに、どうやら団子がお気に召したらしい。

 うららかな春らしい気候の中、茶屋の縁台で花見団子。このあたりはやや冷涼な気候のおかげか、桜はどれもまだまだ花盛りだ。実に風流である。怨霊封じの旅の最中でなければ、の話だが。

 ──葛葉の暮らしていた白碇城を発端に、刑部姫の殿舎へ。土蜘蛛に守られた森を通って木霊たちの里に入り、そこから鵺の里を訪れた。行程を俯瞰すると、おおむね北東へ向かって進んできたことになる。
 まるで桜の開花前線を追いかけるように行く先々で花霞を目にしているが、あの猛毒の怨霊が近くを通ったと思しき一帯もあった。生命を根こそぎ吸い尽くされて枯死した土地には季節感などあるはずがなく、気脈すら深く傷つけられて息絶えていた。
 絶望的なあの光景を、思い返すたびに胸が疼く。脳裏に焼きついて離れない。

 穂積、物部に次ぐ火明の氏族のもとへ急ぐ道すがら、一行は食料などの補給のために人里へと立ち寄ることにした。
 主要な街道から離れた小さな里だが、葛葉たちが人間の領域に立ち寄るのはこれが初めてである。術をかけて人妖の外見特徴をごまかし、やや緊張しつつ行ってみれば、何も怪しまれることなく普通に携行食を買い求めることができた。おそらく内心最も安堵したのは清白だろう。
 何をしでかすか分からない雲取が一緒であれば容易には済まなかったに違いないが、「ヒトに化けるの面倒くせえ」と別行動を取っていた。ありがたい限りである。

「うちの団子は美味いだろう? せっかくのお天気だ、ゆっくりお茶もお飲みよ」

 茶屋の老婆は愛想良く茶を注ぎ足してくれた。よほど暇を持て余していたのか、旅人が珍しいのか。
 人々の様子を見るに、怨霊が解き放たれて被害が出ていることなど知らないようだった。
 葛葉たちが団子を注文するついでに、里のあちこちに飾ってある風変わりな人形について老婆に訊ねてみたところ、思いがけず堂に入った昔語りが始まったのである。
 見れば、隣に腰掛けた清白も小さく息を吐いている。やはり話に集中していたようだ。

 男女一対の人形。この茶屋にも飾られているそれは、何よりも人目を惹くのが人形たちの纏う着物の柄だった。
 男が黒地に桜、女のほうは白地に曼珠沙華。人形本体は大きさも顔の作りもまちまちなのに、着物の柄だけは村中どの人形を見ても同じ装いに整えられているのである。

「桜と曼珠沙華とは変わった取り合わせだな」

 人形を見つめたまま清白が呟く。

「ああ、この言い伝えには続きがあるのさ。まあお聞きよ」

 老婆は自分の湯呑にも茶を注ぎ、ゆっくりと昔語りを再開した。