異端者たちの夜想曲

2:林原将 (9)


「初めまして。武器の使用等に関して、あなたの指導係を務めることになりました」

 落ち着いた声と共に将の前に現れたのは、年の頃なら十六、七の……つまりどう見ても今年二十歳の将より年下の、女の子だった。

「……はあ…」

 よく事態を飲み込めていない将は、そんな曖昧な相槌を打つことしかできない。

『鋼鉄の暗殺者』
『ヒイラギの腹心中の腹心』
『闇技術のスペシャリスト』

 諸々の賛辞が頭に浮かんでは消えていく。≪桜花≫の至宝とまで囁かれている無二の存在、エーデルワイス。その正体が、本当にこの少女なのだろうか。
 将がすぐに合点がいかないのも、無理からぬことだった。エーデルワイスを初めて目にした者は、まずその声価に釣り合わぬ若さに驚く。そして次に、彼女の持つ静謐な雰囲気に圧倒されるのが常だった。
 そういった反応に慣れているのか、少女は「エーデルワイスです。よろしく」さらりと言って、将の驚嘆を黙殺した。
 空白の数秒間の後、慌てて頭を下げる将。

「よ、よろしくお願いします!」

 寺の三人も丁重に彼女を出迎えた。彼らが深々とお辞儀する様子を尻目に、将は無意識のうちに抱いていたエーデルワイスへの先入観を改めたのだった。

 襟足で無造作にまとめられた長い髪。日本人離れした群青色の冬湖のような双眸。真夏の陽射しを浴びてもなお白い肌。
 それだけでも人目を惹くには充分だろうが、将が関心を寄せたのは、エーデルワイスの容姿ではなくその身のこなしだった。

 エーデルワイスは歩く時に足音がしない。何をするにしても、無駄な予備動作を必要としない。どんな時でも変わらない整然とした所作だった。
 四肢と五感と武器を完全にコントロール下に置き、無駄を省いたその動作は、己の身体がどう使えるかを熟知している者にしか成し得ないものだ。「実にクレバーな身体の用い方」と評したのはサルビアだっただろうか。

 少女と間近に接して、将は幾度となくその動きに見とれた。だがエーデルワイスのそれは、例えるなら美しく洗練されたプロのワルツである。ずぶの素人である将がそれを真似るなど、愚の骨頂だ。将自身も少女の身体さばきを模倣しようとは思わなかったので、まずは基本ステップを習得することにだけ集中した。

 エーデルワイスは至極丁寧に、しかも分かりやすく指導してくれた。将は最初の頃こそ不安に思っていたのだが、一流の技術者である彼女が良き教師でもあることはすぐに判明した。彼女は決して雄弁ではなかったが、押さえるべきところはしっかり押さえ、将に知識と技術を仕込もうと腐心したのである。
 手始めに使用武器の紹介、その特徴の解説、構造の説明。そして基本的な使用方法と手入れの仕方、その他諸々の注意点。
 将とエーデルワイスの修練の日々は、ほぼ一ヶ月続いた。

 一通り武器について学ぶと、自ずと相性の良いものとそうでないものとが分かってくる。将は近距離用の武具が性に合うようだった。拳銃より刃物、というわけである。
 そうと分かると、エーデルワイスは重点的に接近戦用武具の扱い方を将に教え込んだ。代表的なものを挙げると、ナイフに針、仕込み杖といったところだ。これらに共通しているのは、相手に直接触れなければダメージを与えることができない、という点である。
 標的に顔を目撃されるおそれもあるし、反撃を受ける危険性もあるのだが、ターゲットとの距離近い分だけ攻撃を外す可能性は低い。
 映画や漫画の影響で、暗殺といえば狙撃──とごく自然に考えていた将に向かって、エーデルワイスは言った。

「遠距離攻撃と中・近距離攻撃。どちらにも長所と短所とがあり、万能ではあり得ない以上、自分に向いていると思う方を集中的に訓練すればいいんです」

 将が単独で任務をこなすのなら、どの武器にもある程度の実力が求められる。けれども“夜刀”にはエーデルワイスと、もう一人仲間が存在するのだ。無理に将が万事に英才である必要はない、というわけだった。
 将は安心して研修に打ち込み……やがて、エーデルワイスの力添えと将の努力は、正しく報われることとなる。

 夏の終わりと共に寡黙な少女は山寺を去ったが、その後も将は訓練を積み重ね……

 そうして迎えた二〇〇二年十月。将は“夜刀”の新入り・アニスとして初任務に臨み、エーデルワイスとの再会を果たしたのだった。

 十ヶ月ぶりに戻ってきた東京で、将は、月城雪というエーデルワイスの本名と、もう一人の仲間──桐生悠二を知った。
 桐生悠二という男は将と同年代で、一見したところ気紛れな優男といった印象だったが、決してそれだけの人物ではないようだ。左目が視力を失っていることや、残った右目に時折烈しい憎悪と悲哀がきらめくことが、それを証明している。
 彼が一体どういう経緯で“夜刀”に入ったかは知らないが、他人の過去を詮索するつもりは将にはなかった。軽はずみな言動は慎め。山寺で再三言われたことだ。
 悠二の方でも、共同戦線を張る同胞として将を受容してくれたが、必要以上に踏み込んでくるようなことはなかった。

 こうして……誰にも望まれずに生まれてきた少年は≪桜花≫お抱えの暗殺者となったのである。

 拳銃の得意な悠二と、毒針の得意な将。二人を自在に指揮し、任務を過不足なく手がける月城雪──エーデルワイス。

 光届かぬ闇の世界。三人はヒイラギの命令のもと、世に蔓延る咎人たちを狩り続ける。
 それぞれの想いを胸に秘めて。互いに傷を見せ合うことなく。

 この血にまみれた日々の中で、将は生まれて初めて帰属意識と役割とを手に入れたのだった。