夢想百題

041. 最後の審判 (1)



「というわけで、我が『まどろみを包む御影』族から娘を一人、嫁がせなくてはならなくなった」

 父上の言葉は場を一瞬で凍りつかせた。
 わたしは息をのんで父上を見つめる。
 普段は朗らかで頼りになる族長として民から慕われている父上だけれど、今日はどう見ても顔色が優れない。心痛のあまりにだろうか、口元にたくわえた豊かな髭がかすかに震えているようだ。
 それだけならまだしも、目が泳いでしまっているのはいかがなものでしょうか。動揺丸出し、威厳形無し。あ、眉間のしわも三割増しで深い。これは重症だ。
 遠く離れた末席からそんな細かな様子まで見て取れる視力の良さは、昔からわたしの唯一のとりえだった。
 仮にも族長の娘ともあろう者の長所が『視力が良い』一点のみというのも若干アレだけれど、事実なのだから仕方がない。
 大勢いる異母姉妹たちは美しいだけでなく素敵な特技をそれぞれ持っていて、自然と集団の中心になることが多いのに、わたしはいつもぱっとしない。
 刺繍や煮炊きの腕前はせいぜい人並み程度、人前でしゃべるのも上手くないし、飾り文字書きもできない。没個性。存在感ゼロ。
 その埋もれっぷりときたら、「砂漠に潜り込んだ砂モグラのようだ」とまで言われてしまうほどだった。いるのかいないのか分からない、と。
 わたしとしては大変遺憾である。モグラは弱視と相場が決まっているというのに。

 まあ、それはさておき。
 つと視線を移せば、皆が揃って驚いた表情を浮かべたまま固まっているのが見て取れる。
 このとき部屋に集められていたのは族長に近い血筋の者、それも未婚の少女ばかり。
 どの子も目をみはって族長に注目していた。
 ……なるほど。
 つまり、この中から花嫁を選び出すのだろう。
 部族の要職者の娘が他部族へ嫁ぐのは、一般的にはよくあること、なのだと思う。
 ただ『まどろみを包む御影』の場合、特にこれといって特産品があるわけでもない小さな部族だから、はっきり言って貧しく、姻戚になっても旨味がない──と男性陣が明るく笑い話にしていたのを聞いたことがある。今までどこからもお声がかからなかったのも道理というわけだ。
 で、いざ縁談話を申し入れられれば断りづらいのも弱小部族の悲しさというやつか。

 さて、その物好きとも言えるお相手は?

「『大河に臨む常磐木』だ。近々族長が息子に役目を譲られるそうで、その若長殿が花婿となる」

 痛みをこらえるような声音で、それでも父上ははっきりと告げた。
 今度こそ一同が大きくざわめく。
 『大河に臨む常磐木』といえば、近隣一帯で最も栄えていると評判の部族だ。
 名のとおり大河に接した地に住まい、大規模な交易で長きにわたり潤い続けている、と噂話で耳にしたことがある。
 何代も前から小さくまとまっていたうちとは雲泥の差の、本来ならば見向きもしてもらえない相手に違いなかった。

「……聞いた話によると、若長殿にはすでに両手に余る奥方がいるらしい」

 浮き上がりかけた空気を押し留めたのは、父上の重々しい一言。
 一拍置いて少女たちが一斉に顔をしかめた。
 うん、みんな清々しいほど正直だね。

 一夫多妻の認められるこの地域では、有力者が複数の妻を娶るのもよくあることだ。現に父上は三人の女性を奥方として迎えている。
 ただの愛妾とは違って正式に婚姻を結んだ上で妻となるのだが、そこに法的な序列は(基本的には)存在しない。いわば全員が正室であり、全員が側室であるとも言える。
 とはいえ……
 妻たちを左右に侍らせてもまだ飽き足らず、交流のなかった貧しい部族へ突然婚姻の打診をねじ込むなんて、よほどの物好きか、好事家か。
 いくら豊かな部族の御曹司でも、そんな相手のところに輿入れを望む気にはなれないのが当然だろう。
 娘たちの芳しくない反応に怯んだのか、「おのおの考えてみてほしい」とだけ早口で告げて父上は話を切り上げた。
 今日のところはこれで解散である。
 すぐに四方八方で非難がましい声が弾けた。戸惑い、驚き、嫌悪、好奇。口々にしゃべる怒涛の勢いは砂嵐に似ている。
 心なしか普段よりしょぼくれた父上の背中を見送りつつ、わたしは考えを巡らせた。
 もしも志願者がいなければ、きっと父上は苦渋の思いで誰かを指名する。正当な理由なしに断れる話ではないのだから。
「どう思う? 『大河に臨む常磐木』だって」
「冗談よしてよ。あたしにはハサンがいるんだからダメダメ」
「よく知ってる相手に嫁ぐのが一番幸せってお母様がいつも言ってるしねぇ」
「これじゃ部族のための犠牲って感じだよね」
「ねー!」
 従妹たちの話し声が、雫となって胸中に滴り落ちる。砂地に染み込む雨だれのように馴染んでいく。
 当惑しすぎて途方に暮れた父上の表情。
 震えていた口髭。

 …………。

 わたしはひとつ深呼吸して、そしてゆっくりと歩き出した。
 おしゃべりに夢中の少女たちは誰もこちらに注意を払わない。途切れることなく会話に没頭できるというのも一種の特技なのだろう。
 向かう先は、族長の邸。
 そういえばここ何年もろくに行ってなかったなぁと、今更ながらに思い至った。